牽牛子塚(けんごしづか)古墳 ① (国史跡)見学会
2010年 09月 12日
斉明天皇の墓、ほぼ確実
牽牛子塚古墳は八角形墳
墳丘の周囲に敷かれた切り石の並んだ形状から、八角形墳とわかった牽牛子塚古墳
次ぎは朝日新聞の記事
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大化改新で知られる中大兄皇子(なかのおおえのおうじ=天智天皇)の母
、斉明(さいめい)天皇(594~661)の墓との説がある奈良県明日香村の
牽牛子塚(けんごしづか)古墳(国史跡)が、当時の天皇家に特有の
八角形墳であることが確認された。
墳丘全面が白い切り石で飾られ、内部の石室も巨大な柱状の切り石で囲われた
例のない構造だったことも判明。
斉明天皇は巨石による土木工事を好んだとされ、被葬者が同天皇であることがほぼ
確実になった。
八角形の墳丘は
<道教の宇宙観>を示すとされ、斉明天皇の夫・ 舒明天皇や息子の天智天皇らの陵にもみられる天皇専用の形。
又、こんな説もある。
<仏教思想を反映して法隆寺夢殿のような八角円堂を模したとする説>と、
<天皇の支配が、四方八方に及ぶことを表現する>との説がある。
☆天皇の即位式で用いる高御座(たかみくら)も八角形だ。
墳丘の形に加え専門家を驚かせたのが、大規模で高度な土木技術が駆使された
墓の構造だ。
巨石をくりぬいて造った石室は推定重量約70トンで(具体的な重さがピンとこないよ!)
材質は加工しやすい凝灰岩でここから約12キロ北西の二上山から運ばれたらしい。
二上山の凝灰岩石切り場
斉明天皇と娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)を合葬したと記された
日本書紀の記述と合致するほか、漆と布を交互に塗り固めて作る最高級の棺
「夾紵棺(きょうちょかん)」の破片や間人皇女と同年代の女性とみられる歯などが
出土していた。
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したの写真はは「明日香村教育委員会」のパンフレット
上の写真は墳丘全体、したの写真は二つの空間にしきられた石室
見学会当日の石室写真
これまでの発掘成果と合わせ、「一般の豪族を超越した、天皇家の権威を確立するという
意思を感じる。斉明天皇陵と考えるほかない」(白石太一郎・大阪府立近つ飛鳥博物館長)
など、専門家らの意見はほぼ一致している。
*宮内庁は奈良県高取町にある別の古墳を斉明陵として管理しているが、
多くの研究者は「根拠に乏しい」とみている。
宮内庁書陵部の話
八角形墳は最近関東でも見つかっており、必ずしも陵墓特有の形とは言えなくなっている。
牽牛子塚古墳が斉明陵とする説があるのは承知しているが、現在の斉明陵を否定する
だけの材料がない。
この古墳はかなり高いところにあり、発掘現場付近からは、飛鳥の村を俯瞰できた。
築造年代については石槨構造などから7世紀後半ごろと考えられる。「明日香村教育委員会」
斉明天皇のエピソード
日本書紀より「斉明の土木好み」
蘇我馬子の孫の赤兄(あかえ)が斉明の「失政」と批判した記述
① 大倉庫を建てて財物を集めた。
② 長い水路を築いて公金をを浪費した。
③ 船に石を積んで運び丘を築いた。