古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
カレンダー
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31

三輪山の話 ① 「大神神社」とは?

「大神神社」とは?
ずっと書きたかったけどなかなかまとめられないでいた「大神神社」(みわさん)について、じょじょに書いていこう。
あとで文を整理したり、訂正したり、別の考えが出てきたらその時また書き足していきたいと思う。
田中八郎氏の「大和誕生と神々」を主に参考にし、他の先生たちの書物の知識もとりいれ、自分なりにまとめたいと思う。
f0215268_13573081.jpg

さて先ずは公式HPから
三輪山は、奈良盆地をめぐる青垣山の中でもひときわ形の整った円錐形の山であります。古来より神の鎮まりますお山として、『古事記』や『日本書紀』には、御諸山(みもろやま)、 美和山(みわやま)、三諸岳(みもろのおか)と記され、大物主神(おおものぬしのかみ)の鎮まりますお山、神体山として信仰され、 三諸の神奈備(みもろのかむなび)と称されています。

高さ467メートル、周囲16キロメートル、南は初瀬川(はせがわ)、北は巻向川(まきむくがわ)の2つの川によって区切られ、その面積はおよそ350ヘクタールとなっています。

山内の一木一草に至るまで、神宿るものとして、一切斧(おの)をいれることをせず、松・杉・檜などの大樹に覆われています。


「田中八郎氏の「大和誕生と神々」には次のように記されている。

三輪山は神体山である、とする慣用句がガイドブックから考古学、歴史学の論文にいたるまで数々の記述に頻出するので、つい吟味せず資料視しするが初出は山崎闇斎(1618~82)のようだ。
彼は将軍家綱と綱吉治世の頃の儒学神道学者で、神儒一致説を唱えて垂加神道を創始した。
その中で三輪山の神体説を打ち出した。かれの大きな影響力もあって「三輪山神体説」が古代色も付け加わりながら浸透したとおもわれる。
現拝殿は寛文4年(1664)の再建で、将軍家綱の棟札があるので、山崎闇斎の影響が拝殿の方にまで及んだらしい。世を挙げて仏教一色のなかで、三輪山の役目をひきたてる必要から神体山説が意味をもったのだろうか。
山と神の話では、ヤマトトトヒモモソヒメと契った男がミムロ山に帰った神であった。という箸墓説話がある。

箸墓伝説 
大物主大神と結婚したヤマトトトビモモソヒメが、夜だけ通ってくる夫に「あなたのお姿を見たい」と言うと、「もっともなことだ。明朝、あなたの櫛筥に入っていよう。どうか私の姿に驚かないように」とお答えになりました。翌朝、姫が櫛筥を開けてみると、そこには衣紐ほどの麗しい小さな蛇が現れました。姫は驚いて叫んでしまいます。すると、大神は恥じてたちまち人の形となり、自分に恥をかかせたと言って大空を踏んで三諸山に帰ってしまわれます。残された姫は仰ぎみて悔い、どすんと座り込みました。その時、箸で陰部を突いて亡くなってしまわれます。この姫の墓を箸墓と言い、その墓は昼は人が造り夜は神が造ったと伝えられています。

又、 『日本書紀』に記されている伝説で、第十四代雄略天皇がチイサコベノスガルに「三諸岳の神の形が見たい」と命じました。スガルは三諸岳に登って大蛇をとらえ、天皇に奉り、天皇は斎戒をせずにそれをご覧になりました。すると大蛇が雷のような音をたて、眼はギラギラと輝いたので、天皇は見ることができず眼を覆って殿中に隠れてしまわれ、大蛇をお山にお返ししました。これによって三諸岳は「雷の岳」と名を改めたといいます。

この二つの話によれば
①神の住所はミムロ山で、山が神だとは言っていない。
②王権予備軍がミムロの神を懐柔するためヤマトトトビモモソヒメを派遣したが失敗。(水銀の流通権益を譲らせる為)
③ミムロの神が王権予備軍と拮抗した大きな力を持っていたことを表わしている。


拝殿奥の三つ鳥居から山頂にかけて磐座(いわくら)とか磐境(いわさか)とよぶ祭祀用岩石群があって信仰の対象になっている。これは岩石信仰であって山そのものの祭祀ではない。
山の土そのものに霊力があるとされた「天の香具山」とはちがうのだ。

山そのものを祭祀して拝殿が造られたのは「大神神社」であって、ミムロ山を根拠地とした(ミムロ神)信仰ではない

◎ややこしいので平たくいうと、ミムロ地方の先住縄文人の頭領やその祖先神がミムロ神で、先住縄文人たちは山の磐座をミムロ神の依り代として祀った。鳥居も拝殿もなかった。
◎大和王権が承認した名前が「三輪」で王権が成立していない以前の時代、つまり縄文時代の三輪山とその神は「ミムロ」である。

ミムロ山は、砂金も鉄鉱石もベンガラも産出しない。大和地方の繁栄の原動力となった地下資源は、宇陀、都祁の辰砂であり、その流通を押さえていたミムロの住民が勢力をはっていた。そこに、王権予備軍がやってきて、辰砂の権益を横取りし鉄の農工具を使って農耕地を広げ、大和王権をたてようとした。そのとき先住民の激しい反撃を懐柔するために「先住民の神を大事にしてますよ」というポーズのため作ったのが「大神神社」(おおみわじんじゃ)である。

f0215268_14311818.jpgf0215268_14322775.jpg









ところで縄文時代の人は辰砂を見て、それから水銀が採れるとどうして知ったんだろう?
辰砂とは?
辰砂は単独の鉱物としてより、水銀を取り出す為の鉱石として名前が知られている。
水銀を取り出す方法は、とても簡単で、ただ熱すればいい。
熱すると辰砂は亜硫酸ガスと水銀に分離される。
また、古くは辰砂自体の赤い色を絵の具に使用していたらしく
英名はギリシャ語でそのまま
「kinnabaris=赤い絵の具」に由来する。

私たち現在人は本当に自然を知らない。(特に私は)
自分で火もおこせないし、糸も針も作れない。きっと縄文人たちは色んな植物、岩石などの知識を持っていたのだろう。
スイッチやボタンひとつで電気をつけたりガスでお湯をわかしたりしている現在人とは能力が違うのだろう。

さて、「大神神社」に話をもどします。
なんで、「大神神社」を「おおみわじんじゃ」と読むのだろうと不思議に思わないくらい、浸透してしまっている名前。
王権予備軍が「あなたがたの神は大きな立派な神様です。」と宣伝して「その神を私たちも大事にしてますよ。だから自分たち王権の支配下にはいっても、大丈夫ですよ」という欺瞞の広告塔だ、というわけです。

「えっ、そんな証拠がどこにあるんですか?」

                                                              つづく
[PR]
by jumgon | 2010-10-21 13:52 |  ○三輪神社・大神神社