古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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倭と古代朝鮮との往来

         記紀にしるされている
      倭と朝鮮との交流記事は本当だったのだろうか?


日本列島と朝鮮との頻繁な往来が記紀で語られている。

「遣唐使の頃でさえあんなに、遭難が多かったのにもっと以前にそんなに頻繁に
    往来できたのだろうか?遭難の記事もみかけないし、、、。」


      こんな風に疑問をもったのは私だけではないと思う。

だけど現実に、日本の古い古墳からの出土品から朝鮮半島製のものが多く出土している。
記紀には神功皇后の新羅遠征、とかそれ以外にもいっぱい朝鮮半島との行き来の記録がある。
またわが国以外の記録としては、有名な好太王碑がある。(教科書にでてきますね。)

「好太王碑」
通説では以下のように解釈される。
百殘新羅舊是屬民由來朝貢而倭以耒卯年來渡海破百殘加羅新羅以為臣民

〈そもそも新羅・百残(百済)は(高句麗の)属民であり、朝貢していた。しかし、倭が辛卯年(391年)に海を渡り百残・加羅・新羅を破り、臣民となしてしまった。〉

解釈にはいろいろ異論もあり、又一時改ざん説も取沙汰されたが、一応改ざんはなかったと、するのが学界の定説のようである。

古代交通について調べていると、とても分かり易いサイトが見つかった。

遣唐使船の記事だ。
http://kondoh-k.at.webry.info/200512/article_3.html
f0215268_1441475.jpg


海事博物館ボランティアより

前期遣唐使船は地乗り航法を主用する「北路」に依ったので、海難は比較的少なかったと思われます。
第6次までの前期遣唐使船は原則として昼間のみ航行するいわゆる地乗り航法の「北路」により、そのほとんどは沿岸沿いに進むため多大の日数を要したでしょうが、その航海は比較的容易であったと思われます。登州から先は陸路により長安へ向かいました。

しかし、8世紀になってから対新羅関係が悪化して北路が使えなくなるという、厳しい現実が出来した事も一因となり、やむなく東シナ海横断の「南路」を利用せざるを得なくなりました。この航路は遭難船が続出する悲惨な結果を招来しました。

◎そうか、遣唐使船は後期になって、沿岸航路ではなくなったから、海難事故が多かったのか?
 ナルホド!!

このサイトには遣唐使船のもっと詳しいことが載っています。興味のある方は訪問してみてください。
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by jumgon | 2010-12-06 14:45 | ★言語、歴史