古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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竜田川・竜田越奈良街道

あらしふく三室の山のもみぢ葉は
  竜田の川の錦なりけり     能因法師

ちはやぶる神代もきかず竜田川
   からくれないに水くくるとは  在原業平    

この歌で有名な竜田川周辺を散策したいとおもっていた。
今まで国道25号線で亀の瀬を過ぎ、王寺・三郷町辺りへ来ると何度か「⇒竜田川」の標識と川沿いの遊歩道があるのを見つけていた。
一度はここらでゆっくりしたいと思ってた。

川沿いが遊歩道になっている。竜田神社から歩いて行けるのかと思い込んでいたが、my driver は「そんなの無理だ」という。
竜田神社へ参ったあと土手づたいの道まで車で出て、駐車場はないかと探したら10台くらい停められるスペースを見つけた!

さすが紅葉の見納めの季節とあって、近所の人達や家族連れが散歩に来ていた。
といってもいわゆる観光地ではないのでゆったりと散歩できた。

斑鳩町のぺーじから
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竜田川は、古くよりもみじの名所として、平安歌人の在原業平(ありわらのなりひら)や百人一首で知られる能因法師(のういんほうし)の歌をはじめ多くの和歌に登場します。現在は県立公園として整備され、春には桜、初夏には新緑、秋には紅葉と四季のうるろいを楽しめます。


竜田川の紅葉は、第10代崇神天皇が龍田明神に行幸され、五穀豊穣を祈られ、上流より流れてきた八葉の楓葉を龍田の神さまに献上されました。
のち文武天皇が行幸のとき、紅葉を見て大変感動されたといいます。以来、竜田川は紅葉の名所として天下に知られ、紅葉といえば竜田川とまで連想されるようになりました。


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竜田川公園となっている川沿いの道を三室山の方へあるく。
途中いくつもの朱塗りの橋があり、それっぽい風情だ。
途中石や木のベンチがある。
川のせせらぎの音が心地よい。

だけど、川は「からくれないに~」というようにもみじ葉は流れていない。
そもそも「三室山」ってどの山?
わたしは「三諸山=三輪山」ではないかとおもってたのだ。あとで地図を見て間違いだとわかったけど~
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WIKIより
歴史
神武天皇は即位前に竜田山に入ったが、峻険で狭い道に行軍が難航したという。

また、履中天皇も即位前に住吉仲皇子の反乱に遭い、平群木菟に助けられ難波から竜田山を経て大和国へ入っている。『日本書紀』。

*現代には竜田山という地名は存在しないが、竜田神社、竜田川、竜田道という名は現存している。
昌泰元年(898年)には宇多上皇が吉野から摂津国に向かう途中、竜田山を越えて河内国に入ったという記録がある。扶桑略記」昌泰元年10月28日条(898年11月15日)

製鉄業
河内国古市郡の嶽山から竜田山にかけての地域は、古代に製鉄・鍛冶が盛んであった地域として知られている。

◎えっ、製鉄・鍛治?これはまた詳しく調べないと~

藤原京が置かれていた頃の交通路
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竜田越奈良街道出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/07/02 05:25 UTC 版)
竜田越奈良街道(たつたごえならかいどう)は、奈良に至る「奈良街道」の一つ。 大阪と奈良を結ぶ街道の一つであり、斑鳩町の竜田(龍田神社付近)を通る「竜田道」の一つである。 現在は国道25号が踏襲している。

龍田(三郷町の龍田大社付近)を越えることから「竜田越」とよばれるようになった。 また、大阪府内では「渋川道」ともいわれる。

・歴史
飛鳥時代に、難波津・四天王寺と斑鳩里・法隆寺を結ぶ街道として整備された。沿道にある大聖勝軍寺を含め、いずれも聖徳太子にゆかりのある地域と関わりがある。聖徳太子自身もこの街道を往復していたといわれる。

奈良時代になると、難波京と平城京を結ぶ街道として利用された。最短ルートである暗越奈良街道が急峻な山越えであるため、比較的坂の緩い平坦路として重宝された。斑鳩より東は「横大路」(北の横大路)といわれた。また、現在の大和郡山市横田付近で「下つ道」に合流した。

なお、柏原から三郷にかけては、北側の山道越え(信貴山越と一部重なる)、大和川の北岸に沿うルート(いわゆる亀の瀬越)、対岸の南側を沿うルート(現在の国道25号)など、複数のルートがある。

柏原市内で、「亀の瀬」とよばれる地域を通るが、本街道としては現在に至るまで、難所として知られた。明治時代以降に鉄道が敷設されたときに長大トンネルが掘られたが、軟弱地盤のため、崩壊して放棄された。

◎軟弱地盤のため、崩壊して放棄された長大トンネル。このトンネルが一部崩壊せずに残っているという、新聞記事があった。一年ぐらい前だったかしら~

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竜田山に関する記事を見つけました。
 ● 亀瀬山・聖徳太子が始めて河内道(亀瀬越)を開いた。
 ● 天武天皇八年(680年)に始めて竜田山に関を置いた。麓に大和川の源がある。
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by jumgon | 2010-12-07 16:04 | ★言語、歴史