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古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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記紀に現れた地名を探る ①葛城地方

記紀に色々な地名が出てくる。
いったい今でいえばどのあたりなんだろう?


前からそれを知りたいと思っていた。
難しいけれど、出来るだけ調べていこう。
先ず今回は神功皇后の時代の記事から~

記紀はいろんな方が訳しておられます。詳しい内容はつぎをご参照ください。

「古事記の神々(現在語で)
http://himeluna.exblog.jp/
葛城襲津彦(3)の記事から


摂政5年
新羅の王は使いを派遣して、貢ぎ物を持って来ました。それは先に人質となった、ミシコチ伐旱(ほつかんー新羅の官位)を返してほしいという心情からでした。

皇太后(神功皇后)は許可しました。葛城の襲津彦(そつびこ)を付けて派遣しました。共に対馬に着いて、鉏海(さひのうみ)の湊に泊まりました。その時、新羅の使者が、ミシコチ旱岐(かんき)を乗せて新羅に逃がしました。
騙された事が分かった襲津彦は、新羅の使者三人を捕えて牢屋に入れて、火をつけて焼き殺しました。
そして、新羅に行って、蹈鞴津(たたらのつ)に行き、草羅城(さわらのさし)を攻め落として帰国しました。この時の捕虜たちは今の桑原、サビ、高宮、忍海(おしぬみ)たちの、四つの邑の漢人(あやひと)らの始祖です。

◎サビは多分「佐味」、忍海は現在地名でそのままと、理解できる。
 あと問題は「高宮」だ。高宮なんてあちこちにある。「桑原」は探してみたが、これも大阪市内など何箇所かあり確定できない。

やはりもう研究されてました。
次に地図をのせます。
記紀に現れた地名を探る ①葛城地方_f0215268_17153827.jpg

◎ソツヒコが連れて帰ったのですから、勢力範囲の葛城に居住させたのですね。
 地図の下に解説が書いてあります。
 「葛城氏が没落後、蘇我氏はこれらの人々を取り込み、力をつけていった。」
 飛鳥時代に蘇我氏が力をつけたのはこういう訳だったのですね!


◎葛城襲津彦の伝承WIKIより
『紀氏家牒』によれば、襲津彦は「大倭国葛城県長柄里(ながらのさと。現在の御所市名柄)」に居住したといい、この地と周辺が彼の本拠であったと思われる。
先祖
o父:武内宿禰( 孝元天皇の曾孫)
o母:葛城国造荒田彦女葛比賣

o葦田宿禰
o玉田宿禰
o磐之媛(仁徳后)
o的戸田宿禰(的(いくは)氏祖)
o腰裾宿禰(忍坂氏祖)
o熊道宿禰(忍海原氏・朝野氏祖)

by jumgon | 2010-12-07 17:22 | ★葛城