古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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永井路子「王朝序曲」

杉元苑子の「檀林皇后私譜」を以前読んだ。
奈良時代から平安時代への移り変わりの時代を描いている。

一つの見方だけでは偏ると思ったので、ほぼ同じ時代を扱っている
永井路子「王朝序曲」
を読んだ。

「檀林皇后私譜」の方は主に桓武天皇・安殿親王・嵯峨天皇の時代を、主に嵯峨天皇と皇后橘嘉智子を中心にすすめいる。
永井路子「王朝序曲」の方は、安殿親王(平城天皇)と桓武天皇との葛藤を中心にそれを取り巻く藤原氏の動きをかいている。

桓武天皇は帝王の座を狙って、義弟・他戸とその母井上皇后を死に追いやった。
さらには、長岡遷都に反対して謀反を謀ったという理由で、皇太弟早良を淡路に流し途中で死ぬにまかせた。
そうしておきながら彼らの怨霊に悩まされて後半生を苦しみ続けた。

その父の行為を批判し続けた平城(安殿)もまた謀反のうわさに怯えて、弟の伊予とその母吉子を死に追いやってしまった。そして父と同様、怨霊の恐怖に悩まされて皇位を降りてしまった。
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そのあと皇位を継いだ嵯峨天皇は、平城天皇の側近を厳しく処罰しないように、死刑はしないようにいう。
「死刑を行って怨霊を背負い込むのはご免だ」という。

古代天皇の資質・・・の一つである、酷薄な独裁志向を嵯峨天皇はもっていない。
◎これは筆者の言

桓武時代は長岡京から平安京への遷都造営、蝦夷地への出兵のために国庫の負担はあまりに大きかった。強力な指導力で国を引っ張ってきたかに見えるが実は国の財政は傾きかけていた。

桓武の国家は幻想の王国、そして桓武は幻想の巨人。
と筆者は書いている。

桓武と違って自分が政治を行う能力や意欲がないのを自覚していた嵯峨天皇。

嵯峨の時代になり、政治は臣下に任せ自分は漢籍・歌・書・女性に耽溺した。

それにもお金を使うが、都の造営や出兵ほどの巨額ではない。
そして、多くの后から生まれた子供は臣籍降下するよう臣下がオススメすることで国の財政負担を減らした。

律令国家が公地公民制を敷いていたのは初めの頃だけで、奈良時代にすでに荘園ができ。その所有者たちが富を蓄えはじめていた。
班田収受は公地公民が原則だがこれはとっくに崩壊し、私有地がどんどん増えていく。

そして桓武朝廷は徐々に現実的な妥協策で律令国家を変質させていく。
これを「王朝国家」「王朝社会」と呼ぶが藤原冬嗣がその序曲を奏でた。
こうして平安時代が始まっていったという。
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by jumgon | 2011-01-15 19:18 | ★読書・放送・講演会