古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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遣唐使船の構造

後期遣唐使船の構造

遣唐使がたびたび遭難にあったのはどういう理由からか?

これについては
倭と古代朝鮮との往来でルートの面から述べた。

もう一度引用します。
海事博物館ボランティアより
前期遣唐使船は地乗り航法を主用する「北路」に依ったので、海難は比較的少なかったと思われます。
第6次までの前期遣唐使船は原則として昼間のみ航行するいわゆる地乗り航法の「北路」により、そのほとんどは沿岸沿いに進むため多大の日数を要したでしょうが、その航海は比較的容易であったと思われます。登州から先は陸路により長安へ向かいました。


しかし、8世紀になってから対新羅関係が悪化して北路が使えなくなるという、厳しい現実が出来した事も一因となり、やむなく東シナ海横断の「南路」を利用せざるを得なくなりました。この航路は遭難船が続出する悲惨な結果を招来しました。


 前期遣唐使(~669)
後期遣唐使(702~)


海難が頻発した遣唐使の派遣を巡って問題になるのは、ルートだけでなく遣唐使船の構造や航海術がどうであったのかということも考えなければならない。

調べて見ると色々な意見がある。

後期の遣唐使船の多くが風雨に見舞われ、遭難する船も少なくはない命懸けの航海であった。
この原因を航海技術が未熟であったためとする見方が主流であるが、佐伯有清は遣唐使船の大型化東野治之は遣唐使の外交的条件を挙げている。
東野によれば、遣唐使船はそれなりに高度な航海技術をもっていたという。
しかし、遣唐使は朝貢の使いであるという性格上、気象条件の悪い6月から7月ごろに日本を出航(元日朝賀に出席するには12月までに唐の都へ入京する必要がある)し、気象条件のよくない季節に帰国せざるを得なかった。そのため、渡海中の水没、遭難が頻発したと推定している。

私の知識ではとても判断できないので、色々な説を紹介する。

今回は後期遣唐使船の船型構造の一端をご紹介します。先にご案内した主として「南路」で渡唐した遣唐使船を、後期遣唐使船と呼ぶことにします。

後期遣唐使船の構造概要 
遣唐使についての文献史料はかなり残されているのですが、船の船型や構造となると皆無に近いのが実情です。
しかし、船型についてこれまで多くの模型が造られ、また、推定図が描かれているので、特に後期遣唐使船については、ある程度共通イメージが出来上がっていると考えられます。同時代の絵画資料は全く無いので、復元に使われているのは時代は遥かに下がりますが、平安時代後期以降の絵画に出てくる外洋航行船です。

史料としては『 聖徳太子絵伝(1069年) 』、『 吉備大臣入唐絵詞(12世紀末) 』、『 鑑真和上東征絵伝(1298年) 』などが挙げられます。
これらに描かれているのは何れも想像図には違いないのですが、それらによると中国の伝統的帆船、いわゆるジャンク船で外航用の大型構造船であったと考えられます。
後期遣唐使船は多数の乗員、食料や飲料水、並びに朝貢品を乗せて外洋を航行するため、使用船の条件としては積載量が大きく、耐航性のある航洋船ということが第一だったと考えられます。この条件を満たすためには北路で使ったと推定される大型準構造船では間に合わず、恐らくいわゆる唐船(中国式ジャンク船)のような、本格的大型構造船であったと思われます。

鑑真和上東征絵伝
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ジャンク (船)とは
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ジャンク(戎克、英: Junk)は、中国における船舶の様式の1つ。古くから用いられきた木造帆船だが、物資・貨客の輸送業務においては、19世紀以降蒸気船が普及したことにより衰退した。独特のスタイルは絵画や写真の題材として好まれており、今日では観光用として用いられている。

船体中央を支える構造材である竜骨(キール)が無く、船体が多数の水密隔壁で区切られている。また、横方向に多数の割り竹が挿入された帆によって、風上への切り上り性に優れ、一枚の帆全体を帆柱頂部から吊り下げることによって突風が近づいた時などに素早く帆を下ろすことを可能にしている。この二つが大きな特徴である。河川や沿岸を航行する小型のものから、400総トン程度で耐波性に優れた大型の外洋航行用のものもある

遣唐使船の構造的欠陥/b>
について
http://www.kougakutosho.co.jp/mathematics/mathematics_73.htm
では次のように述べられている。

遣唐使船をはじめとする古式和船の
第一の欠陥は、海水を完全に遮断できる気密甲板を備えもっていなかったことである。甲板に完全な防水処理を施すだけの技術がなかったうえに、積荷の揚げ降ろしを効率よくおこなうことが優先されたから、現代の船のように船倉を気密度の高い甲板で覆うことなどはあまり考慮されていなかった


古式和船の第二の欠陥は、船底部が竜骨をもたない平底の構造になっていたことである。

竜骨とは船底部の基本骨格のことで、その構造が、太い背骨を中心に左右対称に湾曲してのびる恐竜の胸骨の造りに似ているのでその名がある。紀元前の昔から竜骨をそなえていたヨーロッパやアラビア地方の船は、船底部の断面が大きく開いたV字形をしていて浮かんだ時の重心が低く、起き上がり小法師と同じ原理で左右に傾いても復原する力が強かった。また、支柱となる太い竜骨があるために船底部の強度が大きく、激浪に対する耐久性も高かった。嵐の海で船体が激しく海面に叩きつけられたり、高波の直撃を受けたりすると瞬間的に船底や船側、甲板などが歪む。竜骨があると衝撃による歪みは少なくてすみ、その応力(外力を受けたとき物体に生じる抵抗力)によって歪みは修正復原される。


◎遭難の原因は様々考えられているのですね。

ちなみに遣唐使以前、倭寇?とか民間交流で(国なんてものがはっきりとはなかった時代)
弥代・古墳時代の朝鮮や中国への航海ルートの想像図をあげておきます。
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by jumgon | 2011-01-16 18:33 | ★言語、歴史