古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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座りかた考

人間の生活様式の違いをすわり方を中心に今日は考えていこう。
西洋とか東洋とか、中近東とかの区別のなかった人類の初めのころの住まいは穴居生活だった。勿論椅子もベッドっもない。

やがて洞穴に住み始め、樹木や草や土、石で住居を作っていった。

それから何万年か経ち、土のままの床からやがて草や獣の皮を敷いたり、石やレンガを敷いたりしていったことだろう。
そして、気候、環境の違いから文化が分かれていったのでしょう。
椅子や、ベッド、じゅうたん、畳、が出現したのはもっとのちの時代の事です。

さて、いろいろな国の座りかたを調べてみた。

●まず韓国
韓国の時代劇を見ればわかる。女性はあぐらをかくか、片膝立てて座っているのをよく目にする。それが正式なすわり方らしい。
正座は朝鮮半島では罪人の座法とされる。

一方中国では身分の高い人たちだけかもしれないが椅子やベッドを使用している絵画を目にするけどいったいどうなんだろう?。

Wikiより
●中国
中国では、春秋戦国時代正座が正式な座り方だったことがある。当時中国では股割れズボンを着用していた。 足を伸ばして座ったり、体育座りの姿勢で座ると陰部が隠せないため、正座をしたと考えられる。 その後股割れズボンを履かなくなったことや、椅子の普及で正座をすることはなくなった。

●インドイギリスの植民地だったインドではどうだろう?
私の娘がバックパッカーとしてインドに滞在していたことがあるので聞いてみた。

現在の上流階級は西洋式の生活様式である。
金持ち宅にはダイニングテーブルやチェアがある。

中・下層階級の家の場合
ある家では戸をあけると玄関はなく土間で靴のまま入る。
今でも土間の上に座って食事をする家もある。

どんな貧乏な家にもベッドはある。
◎土の上には寝れないよね!

訪れるとベッドに座るように促される。
ベッドは寝る場所であり、椅子であり、その上に胡坐をかいてチャイ(お茶)を飲んだりする。
でも基本的には食事でもプージャ(お祈り)でも地べたに座ってがもとの形だと思う、とのことである。

デリーで居候させてもらっていた家は、やや金持ちで(下の上、か中の上)部屋にじゅうたんが敷かれていた。靴はぬぐこともあり、脱がなかったり、かなりアバウトな感じらしい。
「だけど、地域によっても違うと思うし、ヨーロッパ文明が入る前はどうだったか私には正確には分からない」とのことである。

でも、インド人は基本的には地べたに座る人達で女性も胡坐をかいて地べたに座るのに慣れているのか膝がメチャ柔らかくて、二等列車で地べたに座ってるおばちゃんなんて何時間も同じ態勢で座ってはったそうだ。
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◎上の写真はよそからお借りしてきました。でも娘から聞いていたイメージに近いので載せさせて頂きました。あ~今さらですが20歳前後のうら若い娘が、なぜこんな所へ飛び込んで行ったんでしょう?

インド研究家の伊藤武先生
という方がおられ、インドの歴史、文化、古来インドから現在にの及ぶ生活習慣や儀式について何でも知ってられるので、「詳しい事知りたかったらにメールで聞いてみようか?」なんていってきたけどそこまでしてもらうのは恐縮するので遠慮しました。

さて今度は日本のすわりかたについて考えてみよう。

●日本の椅子の歴史
日本では、古く武士が野戦用に使用した床几(しょうぎ)があり、鎌倉時代には、中国から仏教とともに伝来した仏具のなかに院内で使用する局ろくが含まれていて、これらが日本におけるイスの起源と考えられる。

●床几(しょうぎ)とは移動用の簡易腰掛け。
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脚2本をX状に組み合わせ、上端に革や布を張って座席とする。移動時は折りたたんで携帯する。日本では古くから用いられ、古墳時代の埴輪にも見られる他、記紀や延喜式にも「胡床(こしょう、あぐら)」の呼称で散見される。腰掛け用として、朝儀の際に武官が用いたと記録にあり、後世には武家が野戦時に帷幕内で用いるほか、鷹狩りでも利用された。

●床几の歴史
床几の古形である胡床は中国大陸から日本に伝わった。中華では古代、日本と同じように椅子を用いず床に直接座る習慣があったが、漢代には北方から胡床が伝来し、宮廷から戦場まで広く普及した。唐代には椅子の使用が始まったが、胡床は携帯用座具として重宝されつづけた。日本では椅子の普及が明治に入ってからであるため、近世に至るまで広く使われ、現代でもその姿を見ることが出来る。また「縁台」のことを指して床几ということもある。

しかし日本の生活様式がイスを必要としない床座式のため、イスは家具としての発展をみずに明治時代を迎えた。
開国と同時に、西欧人の渡航、文明開化の風潮によって普及、官庁・学校・公共建造物におけるイスの使用がそれに拍車をかけた。
◎奈良飛鳥時代は中国文化の影響が影響が強いから、椅子が使われていたかも知れないと思った。
(あっ、でも中国で椅子が使われ始めたのは、唐代からだった!)

平城京遷都1300年祭にちなんで、行基や聖武天皇、橘諸兄、孝謙女帝が出てくるテレビドラマで確か、藤原の仲麻呂(恵美押勝)の館にイスとテーブルがあったと記憶している。(このドラマの時代考証は確かなのだろうか?)

ちょっと気になるのは
平城京の大獄殿の高御座だ。
一見イスのように見える。
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Wikiから高御座の構造の説明を引用する。
◆高御座の構造と外形
高御座の構造は、三層の黒塗断壇の上に御輿型の八角形の黒塗屋形が載せられていて、鳳凰・鏡・椅子などで飾られている。椅子については古くから椅子座であり大陸文化の影響、と考える人がいるが、『延喜式』巻第16内匠寮に高御座には敷物として「上敷両面二条、下敷布帳一条」と記され二種類の敷物を重ねる平敷であり椅子ではない。


さて、正座について
Wikiから引用する。
●正座の歴史では、正座の座り方(後述)がいつ頃から始まったのか、という部分と、この座り方を「正座」とする概念がいつ頃発生したのか、について分けて考える必要がある。
正座とは、元々、神道での神、仏教で仏像を拝む場合や、征夷大将軍にひれ伏す場合にのみとられた姿勢であった。日常の座法は武士、女性、茶人などでも胡座(あぐら)、立膝で座る事が普通であった。
江戸時代初期、正座の広まった要因としては、江戸幕府が小笠原流礼法を採用した際に参勤交代の制定より、全国から集められた大名達が全員将軍に向かって正座をする事が決められ、それが各大名の領土へと広まった事が一つ。

また、別の要因として、この時代、庶民に畳が普及し始めた頃であったことも要因であるという。
入澤達吉『日本人の坐り方に就いて』では元禄~享保に広まったと推測されている。
それに対して、川本利恵と中村充一「正座の源流」[3](東京家政大学紀要第39号 1999年)では、この座り方そのものは『日本諸事要録』(天正11年)の記載から、16世紀後半にはすでに下級武士や農民にまで浸透していたことを指摘しており、古代遺跡や奈良時代の仏像にも現代の正座と同じ座り方があることから、座り方そのものは江戸時代以前から一般的であったとも考えられる。

http://www.seizajsa.com/article/1291900683.html
にかなり詳しく正座や日本人の座り方の歴史が記されている。興味のある方はどうぞ。

•イースター島のモアイは裸で正座している。

◎イースター島のモアイ像については由来がまだ謎のようだが、正座というのもその解決の一つの要素になりそうですね!
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by jumgon | 2011-03-09 10:18 | ★言語、歴史