白鳥伝説と白鳥陵
2011年 06月 24日
先日、羽曳野市古市にある西琳寺を訪れたが古市駅の東側すぐそばに白鳥神社がある。
駅を西へ進むと白鳥古墳もある。
いわゆる白鳥伝説と関係のあるところらしい。
先ず白鳥伝説について確認しよう。
○白 鳥 伝 説
日本武尊(ヤマトタケル)は、父の景行天皇から、朝廷に服従しない熊襲・出雲などを征討するように命じられ、軍勢もないまま征討に赴き西国を平定し、やっとの思いで大和へ帰ってきましたが、休む暇もなく天皇から東国の蝦夷を征討せよと命じられます。
その命令を受けた日本武尊は、伊勢にいた叔母の倭比売命に自分の不遇を訴えています。
幾多の苦難のすえ、東国を征討しますが、その帰る道中、伊吹山の神との戦いに破れます。
傷を負いながらも日本武尊は大和へ帰ろうとしますが、能褒野(のぼの)(亀山市)に辿り着いた時には、一歩も前に進めずついに力尽きてしまいます。
体を横たえ、日本武尊は大和への思いを、
『大和は国のまほろばたたなづく青垣 山こもれる大和し美し』
と詠んでいます。
能褒野に葬られた日本武尊の魂は、白鳥となって大和へ向かい、
琴弾原(御所市)を経て、旧市邑(ふるいちむら)(羽曳野市)に降り立ち、その後何処ともなく天高く飛び去ったと古事記・日本書紀は伝えています。
亀山市・御所市・羽曳野市の三市には御陵があり、俗に「白鳥の三陵」と呼ばれ、日本武尊・白鳥伝説は今も息づいています。
(この三市で交流イベントなどやってるようだ。 羽曳野市では市民祭りで「タケル君音頭」によるダンスコンテストもある。)
◎ふーむ、白鳥が飛んでいった先にまでお墓を造るの?
魂が降り立った場所だということで~。
○能褒野王塚古墳(のぼのおうつかこふん)
三重県亀山市にある前方後円墳である。
宮内庁により日本武尊(やまとたけるのみこと)の陵墓と治定され、日本武尊能褒野陵として管理されている。(今のところ宮内庁はこの古墳を日本武尊陵としているがほかの意見もある。)
○能褒野神社
祭神 日本武尊 配祀 弟橘姫命
由緒 日本武尊はこの地で薨ぜられた。明治十六年、社号を能褒野神社として創立された。
◎えっ、明治十六年に創立?
お姿 能褒野王塚古墳の横に鎮座する。この古墳は前方後円墳であり、全長90mの大きいものである。
4世紀末頃の築造と考えられている。
倭王権で言えば倭王武の時代、記紀で言えば雄略天皇の時代、多くの兵士が東国平定に赴いた時期であり、当地まで帰ってきて亡くなった兵士もいたのだろう。
○琴弾原白鳥陵
(奈良県 御所市富田)
訪れた人の記事を読むと地元でも場所を知らない人が多いらしい。
日本武尊白鳥陵、と書かれている。周りは畑と田んぼ。田舎、である。
第六代考安天皇陵から南へ約1km。白鳥陵の東、数100mのところにある山の名前は「国見山」。
訪れる人は他にいない。
小山に向かって畑の中へと進むが、案内板はないのでどこまで進んでいいのかわからない。
たまたま、犬の散歩をしていたおじさんが教えてくれた。この人がいなかったら、拝所までたどりつけなかったかも。
2010年に行った方のブログには日本武尊琴弾原白鳥陵は民家に挟まれた細い道を進んで行きますが、案内板が設置されているので、迷うことはありませんでした。と書いてある。
そんなだからこれに付随する神社はないのかな~。
○白鳥陵(大阪府羽曳野市古市)
羽曳野市のHPを見ると
墳丘長190m、後円部の直径106mの前方後円墳、前方部の幅165mで、幅40〜80mの濠を持つ。日本武尊の陵墓との伝承がある。と簡単な説明。
◎日本武尊の陵墓かどうかは分からないけど伝承はある、と言うことらしい。
それにしても大きな古墳ですね。
◎白鳥陵も大きいけれど、応神天皇陵の大きさには改めてビックリ!
つづく 白鳥神社