古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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カテゴリ:★古代の桃の話( 3 )

   奈良県桜井市の纒向遺跡(2世紀末~4世紀初め)から2千個を超す桃の種が出土。

桃の種!
この間行った唐古・鍵遺跡からも桃の種が見つかっている。

モモは、イザナギ・イザナミ神話に登場するように、伝来時期は早く、縄文時代の遺跡から、モモの種が出土する。
又、薬として桃の種はつかわれた。藤原京に運上された薬草は、
  五茄(うこぎ)・人参・桔梗・西辛(さいしん)・車前子(おおばこ)・久参(くらら)・葛根・
  桃子(もものたね)
  非子(ひし)・知苺(やまところ)・牛膝(いのこずち)・杜仲・
  桃人(もものさね)・独活(うど)。
*桃の種(桃仁)は漢方薬に使われます。血液の流れを良くすると言われています。

桃太郎の桃が気になって昔の桃が”稲田桃”らしいことが分かった。
纒向遺跡の桃の種は写真でみたらかなり土にまみれてかなり黒っぽくみえた。
もしかして、、、、この種から発芽しないだろうか?発芽させることは出来ないだろうか?
   桃の種は硬く中の種を保護している。

大賀ハスの例もある。
<大賀ハス>とは?
大賀ハス(オオガハス、)は、1951年(昭和26年)、千葉県千葉市検見川(現・千葉市花見川区朝日ケ丘町)にある東京大学検見川厚生農場(現・東京大学検見川総合運動場)の落合遺跡で発掘された、今から2000年以上前の古代のハスの実から発芽・開花したハス(古代ハス)のこと。

      纒向遺跡のことは膨大になりすぎるのでまた時間をみてまとめたいと思う。
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by jumgon | 2010-09-19 14:43 | ★古代の桃の話

桃太郎の話


田原本町の桃太郎伝説

そもそも桃太郎の話自体は、古くから各地で語り伝えられてきたものだろう、と私は思ってきた。
柳田国男著『桃太郎の誕生』(昭和7年) によると、『桃太郎の昔話が昔から日本に有ったということは、単なる推定以上の何物でもない。強いて記録の徴証を求めようとすれば、『本朝神社考』巻五に秦河勝化生の事を説いて、昔大和国洪水の折に、初瀬川大いに漲り、大なる甕一つ流れ来たって三輪の社頭に止まる。土人開き見るに玉の如き一男子あり云々。

おもいがけなくもつい先日行った田原本町に桃太郎伝説があった!
桃太郎伝説」とは
  英雄キビツヒコ 今語られる 真説 桃太郎伝! 
むかしむかしのこと。
吉備の国に、温羅(うら)と言う恐ろしい鬼が住んでおったそうな。
 西国から都へ通う船を襲っては人を殺め、財宝を奪うなど、数々の悪事をはたらいては人々を苦しめておったと。
大和の朝廷ではこれをいたく憂い、彦五十狭芹彦命(ひこいさせりひこのみこと、のちの吉備津彦命=田原本町黒田廬戸宮(いおどのみや)・第七代孝霊天皇の皇子。)に吉備の国に鬼退治に行くようにお命じになったと。
彦五十狭芹彦命は弟の若日子建命と、お伴の犬養部(いぬかいべ)・猿養部(さるかいべ)・鳥養部(とりかいべ)を連れ、難波の港より船出したんじゃ。 船は途中、瀬戸内海路で針間(播磨)に立ち寄り、吉備の国、妹尾明神岬についた。そこで皆は佐多八という漁師に迎えられ、トウキピで作ったダンゴを食べて英気を養ったそうじゃ。
 そして吉備の山中に陣をかまえ、やがて作多八の道案内で鬼退治に出かけたそうな。
それはそれは激しい戦いの末、ついに鬼たちは降参した。
 人々はたいそう喜び、その功を讃え、彦五十狭芹彦命を吉備津神社の祭神として祀ることにしたんじゃとさ。

 
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by jumgon | 2010-09-01 21:24 | ★古代の桃の話

桃太郎の桃

 以前から気になっていたことだが、絵本で見た桃太郎の絵では桃がとんがってるが、今売ってる桃は丸く角がない。「なぜだろう?昔にはあんな形の桃があったのだろう」と、推察する。
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桃太郎の物語の成立については諸説存在し、それぞれ争いのあるところである。発生年代は正確には分かっていないが室町時代とされ、江戸時代以降に広まったとされる。草双紙の赤本による『桃太郎』『桃太郎昔話』などが出版により広まった最初の版であるとされる。
また赤本、豆本、黄表紙、青表紙などに登場した桃太郎は、滝沢馬琴の『童蒙話赤本事始』で五大昔噺の冒頭を飾る
多分その本に挿絵があったのではないかと思う。その時代の桃がきっと先がとんがった形だっただろう、、、、。さてその桃は今もあるんだろうか?
桃は古事記にも出てくる古くからある果実だ。
日本書紀によれば、イザナギノミコトに亡きがらとなった姿を見られ、恥をかかされたと言ってイザナミノミコトはさまざまな神に追わせた。イザナギは、黄泉の国と現世との境、ひら坂にさしかかったとき、「桃の実を三つ」取って待ちかまえて撃退したという。
享和元年(1801)に著された『河内名所図会』にも紹介されているが、江戸時代後期この河内平野、特に稲田周辺には桃源郷と言われるほど桃の木がたくさん植えられたいた。
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 古代より、桃は邪気を払うという信仰があり、春ごとには花見をされ、また、桃の実はお盆のお供え物として重宝された。その桃は土地の名と取って「稲田桃」と呼ばれていた。実は昔話「桃太郎」に出てくる桃はこの稲田桃で果実も種も赤く先がとがっている。

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「古代桃」

皇居に古代果樹園があり、そこにも稲田桃が植えられている、ということだ。
現存する中では、これが、最も原種に近いとされている。
種子は奈良県田原本町の「唐子鍵遺跡」からも出土し、初瀬川流域で植栽されていたとされる。又、聖徳太子(馬厠の皇子)も好んで食したと伝えられる

奈良県田原本町の「唐子鍵遺跡」ですって!
この間訪問したとこじゃないの。そんなところから桃の種が出土したの!涼しくなったらもう一度詳しく街巡りしなくちゃ。それにしてもあんまり大きな町じゃないのに、町の遺産を大切に守っていこうと言ういきごみを感じる。

「稲田桃」
東大阪の稲田地域で発見され、この固有名詞がついたそうだ。
説によれば、太閤秀吉が、淀君の為に桃谷からこの地域一帯に植えた末裔らしい。
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by jumgon | 2010-09-01 21:10 | ★古代の桃の話