古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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カテゴリ:★勾玉の話( 3 )

勾玉の由来は鳥か?

勾玉の由来についてかかれている方がいらっしゃったので紹介します。
http://www.iris.dti.ne.jp/~muken/index.html
「ポリネシア語で解く日本の地名・日本の古典・日本語の語源」より
勾玉は、何を象ったものでしょうか。
 これまでに①人魂説、②月(半月)形説、③釣り針説、④ナマズ説(?)などが出されているようです。私は、上記の「八尺の勾玉」のマオリ語解釈とも関連して、これまで「山幸彦・海幸彦説話にみるように海洋民族の宝物である釣り針」説に傾いておりましたが、最近(平成11年5月)長年の宿願であった韓国旅行を果たした際の見聞から、新たに⑤鳥形説を主張したいと思います。
 ソウルの国立中央博物館の伽耶室に、5~6世紀の古墳から出土した多数の鉄器、鉄挺などに混じって、写真の「有刺利器」が展示され、用途は不明とされていました。この左と中央の鉄器には、明らかに「鳥形」が付けられています。また、慶州博物館にも、下図のように単純化した「鳥形」をつけた有刺利器が展示されていました。これは正に勾玉の形そのものです。

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*勾玉の由来は①人魂説、②月(半月)形説、③釣り針説、④ナマズ説(?)以外にも胎児形説、巴文様説などがあるようです。


実はこの方のサイト、初めはトンデモ説かな?なんて疑いながら読んでたんですが、「日本人はどこからやってきたか」を調べているうちに(バイカル湖のほとりからやってきた人達)と(中国南部、東南アジアが陸続きだった頃にやってきた人達がいることがやってきたことが分かった。

参考リンク「日本人の起源」を参照してかなりはしょって書いてます。
中国南部、東南アジアが陸続きだった頃にやってきた人達
は海流に乗りオセアニア、ポリネシアにも行っただろうし、またやってきたと思われるから、ポリネシア語が原始日本語に反映されていてもおかしくないとおもう。
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古代日本語は「ヒコホホデミ」とか「ニニギ」とか、とても日本語とは思えない。
おまけにその発音が「ピコポポデミ」かも、と聞いたらもう私の手に負えない。
この話題はあまりに壮大になりすぎるけど、少しずつ勉強していきたいとおもいます。

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by jumgon | 2010-10-15 19:33 | ★勾玉の話

子持ち勾玉の話 ②


藤井寺市から出土した子持ち勾玉

先日、藤井寺文化財保護課へ雑用と質問があり、行ってきました。


私の予想
「子持ち勾玉が先に発生してあとからスッキリしたデザインの勾玉が作られるようになったのでは、、、、」という話をしたら
「いえ、子持ち勾玉は古墳中期頃から作られるようになりました。普通の勾玉は石器時代からありました。」
みたいな事おっしゃった。
「本当に間違いないですか?」となおも食い下がると、
「出土した子持ち勾玉を集めて研究した人がいるので、多分間違いないです。」

そうなのか、、、わたしは陵南の森の展示室の4点だけ比較して、新旧考えてたけど、、、、。
*「子持ち勾玉は集団の儀式での器物ではなく、亡き子ども、あるいは生贄の動物への哀悼の気持ちから作って埋められた」という私の夢想は捨てないとイケないのか、、、、!

「実は藤井寺からも、子持ち勾玉が同じ古墳から3点も出てるんですよ。
」といって実物を大事そうに持ってきて下さいました。
      箱にふんわり綿を敷いて、VIP扱いの出土品です。
大サービスありがとうございます!!( 展示会なんかではガラス越しに見るだけですものね)

おまけに「触ってもいいですか?」というより先に手にとってしまった私!
少し不安そうな文化財保護課の方。
( 大丈夫です。不審者ではありません!重さを知りたかっただけですから、、、)

やっぱり重い。勾玉の目にあたるところに穴があいている。ひもを通したんだろうな。こんなの首からかけたら肩がこりそう。
もしかしたら遺体の首につけたのかも。遺体なら重くても平気だろうと思う。
、、、、あの、けつ状耳飾だって、遺体につけて埋めたんだもの、、、わたしの妄想はどこまで続くのか?)

写真の左から順に、長さ、9cm、10cm、9cmぐらいでした。。( メジャーを持っていて良かった!)一番左が整った形でだんだん崩れた形になっていった、と報告書に書いてありました。
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上の写真は2年前の発掘報速報展での写真。
「平成20年に允恭天皇陵の陪塚(潮音寺北遺跡)から出土しました。」
ほかにも円筒はにわとか出たみたいだけど、やっぱり一番の目玉は「子持ち勾玉で、同じ位置から3個まとまって出土したのは全国的にもめずらしい」
とのことです。

允恭天皇陵は宮内省の管轄なので発掘出来ません。
溝から何か出てきたみたいだけど。
それは又今度書きたいと思います。
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by jumgon | 2010-10-07 15:09 | ★勾玉の話

子持ち勾玉


子持ち勾玉はなぜ作られたの?

子持ち勾玉は滑石製が多い。滑石(ろうせき)は柔らかいので加工がしやすいから
材料に選ばれたのだと思います。
(石の硬さは10段階に分けられ、滑石は硬度1、ダイヤモンドは硬度10です。)
下は田原本町出土の子持ち勾玉(長さ 6,6cm)
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○子持ち勾玉のあちこちの説明ではだいたい同じような説明をしています。
千葉県市原市の埋蔵文化財調査センターのサイトに次のように書いてある。
滑石をを削り、大型の勾玉に子供勾玉を刻出したものをいいます。
普通のシンプルな勾玉は古墳などの副葬品に多く、葬られた人々の装飾品であったと言えますが、子持勾玉はむしろ石製模造品などといっしょに祭祀遺跡から出土することから、祭りのための用途が考えられています。

昨日テレビで胎児の受精から数週間の映像が放映されていました。
「胎児」は受精した時から生物の何億年もの歴史ををおなかの中で再現する、という話は知っていましたが、
リアルな映像を見ると納得すると共に、「この姿って、子持ち勾玉に似てる!!」と思いました。
「絶対に子持ち勾玉は胎児を模したものだ」としか思えません。
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上は <高橋恵美子(女医)さんが作った胎児模型>

でも、古代人って、胎児をみることがあったんだろうか?まさか今みたいに超音波映像なんかなかっただろう。偶然の流産?とかで見る機会があったんだろうか?それとも妊娠中に亡くなった人のおなかの中を見たんだろうか?(こんなこと考えるとコワクなる!) 他の生物の胎児映像もあったけど人間の胎児とあまりらなかったから、例えばイノシシとか鹿を食べる為にさばいた時にみたんだろうか?

タイミングよく、羽曳野市の陵南の森公民館に子持ち勾玉を展示しているというので見にいきました。

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上の6個の内、下段左側の「子持ち勾玉出土時の写真
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古市遺跡出土子持ち勾玉・(径12cm、幅2cm)、なんておおきいの!
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展示中の子持ち勾玉は、古墳中期後半から古墳後期前半のものだった。
いわゆる、きれいなスッキリした形の勾玉は古墳時代後期後半のものだった。
と言うことは、、、、、子持ち勾玉が早い時代につくられ、だんだんデザインが洗練されてアクセサリ的になったってコト?
そういえば、翡翠の子持ち勾玉なんて見たことない。
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by jumgon | 2010-10-01 23:50 | ★勾玉の話