古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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カテゴリ:★石棺の話( 1 )

長持山石館 ②

長持山石館の話、続き

今日は用事があって、藤井寺市教育委員会・文化財保護課へいってきました。
(文化財保護課って、市役所とは少しはなれた所にあって、かなり古くて、お化けが出そうな感じの所でした。!経済活動をしないからって、こんなところに押し込められてるんだ。涙、、、)

でも、収穫大です。そのうちあちこちブログの改訂をしなければ、、、、と思ってます。

先ず地図から

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長持山古墳出土の*長持山古墳の石館って、誤解しやすいけれど、長持ち型石棺ではナイのです。「家型石棺です」

長持山古墳発掘小話
明治の初めごろ、長持山古墳を訪れたイギリス人ウィリアム・ガーランド氏は長持山古墳の頂上に石棺が露出していることを写真入りで学会に報告しています。ガーランド氏の報告したのは2号石棺で、のち戦後になって、大阪府教育委員会と京都大学が発掘調査を行い、2号石棺の北側から新たに1号石棺を見つけました。
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*向かって左が1号石棺
1号石棺は、まわりを川原石で覆った石槨の中におさめられていました。石棺の内部には、赤い顔料を塗った痕跡が今も鮮やかに残っています。
石棺内はすでに乱掘を受けていました。、

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*石棺のまわりに川原石があるのが良くわかるね。石棺の身と蓋に溝があります。これで身と蓋がずれないようになってるのです。。

石棺のまわりの石槨内にはいろいろな品物が副葬されていました。
これらには装身具(ガラス小玉、金銅製帯金具)、武器(鉄刀、鉄矛、鉄鏃)、武具(横矧板鋲留式衝角付冑、挂甲)、農工具、馬具(金銅製鞍金具、木心鉄張輪鐙、轡、偏円剣菱形杏葉)などがありました。
特に挂甲は、全体が復元された貴重な資料です。( 京都大学博物館に所蔵されています。)
*次に冑の説明(岩手県立博物館のHPより)
古墳時代(こふんじだい)の冑は、かなづちでたたいて伸ばした鉄の板を何枚かつなぎ合わせて作りました。形としては、野球帽のように、つば(眉庇=まびさし)のついた「眉庇付冑」と、前の中心に、ウルトラマンのような出っぱり(衝角=しょうかく)のついた「衝角付冑」の2種類がありました。
鉄板のつなぎ方には、たて長の鉄板を丸くつないでいく「たてはぎ」と、横長のものを上から下つないでいく「横はぎ」があり、革ひもか鋲(びょう=画びょうのような金具)を使ってとめていきました。立派な鉄の冑は、その人の権力(けんりょく)の大きさと、勇敢さを表したことでしょう。

*挂甲とは WIKIより
古墳時代の挂甲は鉄でできた小礼を縦横に紐で綴じ合わせて作成され、胴体の周囲を覆い前面や両脇で引き合わせて着用する。兜や肩鎧・膝鎧などのパーツが付属する。 大陸の騎馬民族の鎧の影響が強く伺える。 後にこの挂甲から日本風の大鎧・胴丸に変化していったとも考えられている。
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長持山古墳は、副葬品の組み合わせや、1号石棺の形からすると、5世紀の後半につくられたと推定されます。市野山古墳(允恭陵)の陪塚の一つです。
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by jumgon | 2010-10-05 21:29 | ★石棺の話