古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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カテゴリ:★資料館・博物館( 4 )

馬見丘陵公園館

久しぶりの外出だ!
昨日はまるで春のようなうららかな暖かい日。でも残念ながら今日(4月3日)は曇ってるしおまけに冬が戻ってきた寒さ。

一年前にもお花見にいった馬見丘陵公園。
パンフレットより
大和平野のほぼ中央にある馬見丘陵は、わが国でも有数の古墳が集中している地域です。そして、これらの古代の遺跡をつつみこむように、豊かな自然が広がっています。

◆公園内外にある古墳群
池上古墳
乙女山古墳
倉塚古墳
ナガレ山古墳
巣山古墳
狐塚古墳


今日は馬見丘陵公園館をレポートしよう。
古墳に関する展示の他丘陵の自然を紹介している。

●色々な形状の古墳を紹介している壁面
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●巣山古墳断面模型
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翡翠の勾玉
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方格規矩鏡
青銅の鏡で表側は凸面で顔が写るように美しく磨きあげている。
裏面は鈕(つまみ)を中心に正方形に囲った区画(方格)があって周囲にT・L・Vの文様を配置している。この文様のVはコンパス(規)でLとTはL型の曲尺(かねじゃく)とT定規(矩)を表わしている。

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三環鈴
三個の鈴を一つの環でつないだもので、鈴の内部に小石を入れて美しい音が出るようにしている。祭具や装身用に使用した。

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◎かなり大きい。祭具はわかるけど、装身用としては重くないかしら?
鈴の直径:45ミリ
中央の環の内径:25ミリ
中央の環の巾:8ミリ


鋏(はさみ)
和鋏と洋鋏の中間形式で下半分を円形にしてバネをきかせ交差させた刃の先端部分を握って切る仕組み。
握り部分の外面が先端では刃部になる、現在の鋏にみられない特徴をもつ。

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方格規矩鏡・三環鈴・鋏(はさみ)・翡翠の勾玉、これら4点はガラスケースに入って特別扱いの展示だ。
でも出土場所などの説明がかかれていないので尋ねてみた。
「レプリカです。本物は橿原考古学博物館にあります。」

◎え~、以前橿原考古学博物館へ行ったけど、鋏や三環鈴があった記憶がない。
展示物はたくさんあるので気が付かなかったのかしら?
それにしても古墳から鋏がでてきたのは知らなかった。どこの古墳からかしら。奈良県のどこかの古墳?
三環鈴はどこの古墳の副葬品だろうか?
近いうちに橿原考古学博物館へいって確かめよう!


こんな展示物もあった
●古墳時代の衣服の復元品
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●古墳時代の食物
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●古墳時代の副葬品
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●家型はにわ
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馬見古墳群については又次ぎの機会に~
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by jumgon | 2011-04-06 00:43 | ★資料館・博物館
明日香村埋蔵文化財資料室

越塚御門古墳の見学会へ行く前に明日香村埋蔵文化財資料室を訪れた。
牽午子塚出土の装飾品(ガラス玉など)があると聞いていたから、気になっていた。
⇒ひもろぎ逍遥 http://lunabura.exblog.jp/i45/  参照してください

そこは他の発掘説明会(どの遺跡だか忘れた)があった折、出土品を展示していたので行ったことがあった。
水落遺跡のすぐ近くだ。
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明日香村が発掘した文化財を展示している。旧飛鳥小学校の建物を利用しているから、
ちょっとレトロな雰囲気。
すぐ隣に明日香の農産物を売ってる店もできた。
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残念ながら牽午子塚出土の装飾品(ガラス玉など)はもうなかった。
ボランティアの説明の人にきいたら、「飛鳥資料館あたりに持って行ったのかな?」
と言うことでした。

<明日香村埋蔵文化財展示室>
利用案内
◆利用時間: 平日の午前9時から午後5時まで
◆休日: 土、日、祝日、年末年始
◆入場料 : 無料
※特別展示等の場合は上記の限りではありません。

平成22年4月1日から平成23年3月31日までの期間、明日香村埋蔵文化財展示室の開館日を、下記のとおり拡大します。
◆休日 : 年末年始のみ
◆利用時間 : 午前9時から午後5時まで
※なお、土・日・祝日については、解説員を配置します。
◎ずっと、土日も開いて欲しいよ。私なんて日曜くらいしか行けないのだから~

主な展示内容
1)明日香村内出土遺物展示
2)キトラ古墳石室模型展示
 その他、村の文化財課で発掘している最新情報のスペースも...

◎今回資料室で見たもので興味のあるものを紹介しましょう。
①牽午子塚の石室の内扉・・・貴重なものですが見て面白いものではない。
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◎穴が2つ見えます。多分横に引っ張って開閉したのだろうと、いうことです。
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②★小治田宮(おはりだのみや)の井戸。
◎これはすごい!レプリカではありません。飛鳥時代の本物が残っていたのです。
  檜でつくられてるそうです。

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井戸枠内からは土師器や須恵器、墨書土器が出土しています。
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③キトラ古墳レプリカ
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キトラ古墳星宿図と干支図(復元)
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その他いろいろ展示されていました。
◎小治田宮(おはりだのみや)とキトラ古墳はもっと詳しく調べたいが
あまりに長くなりそうなので、そのうちにまた書きましょう。

◎3年半位前、キトラの壁画「玄武」公開の時は一時間以上並んで待った覚えがあります。
  キトラ古墳の資料は飛鳥資料館で展示されています。

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by jumgon | 2010-12-21 14:06 | ★資料館・博物館

藤井寺シュラホール

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遠くからでもよく目に付く建物です。古墳の濠から出てきた修羅をイメージしてたてられました。ご存知かと思いますが修羅の説明。
修羅とは重い石材などを運搬する為に用いられた木製の大型そりで、機械のなかった時代に重い物を運ぶ重要な手段でした。実物は保存処理されて、藤井寺市立図書館と近つ飛鳥博物館にあります。
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次に津堂城山古墳で発掘されたものを紹介します。
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水鳥と衣蓋形埴輪。水鳥の埴輪は高さ1mを超えるもの二体と、やや小型のもの1体の計3体あります。
現在知られている水鳥埴輪の中では最古最大のものです。
空から見た津堂城山古墳
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又、墳丘は消滅していますが岡古墳から出土した船型はにわ、円筒形はにわ、朝顔形はにわも展示されています。
船形埴輪は出土数が少なく全国で20数例が知られていますが、(1993,4月現在)その大半は近畿、しかも大阪府と奈良県に集中しています。さらに出土した古墳は、円墳や方墳といった小型の古墳に限られるという特色をもっています。
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次ぎは土師ノ里8号墳(古墳時代の中期)の発掘当時の様子と円筒棺
(墳丘は消失しています)
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さて修羅と土師の里遺跡の関係に目を向けてみましょう。修羅が出土した場所は、土師の里遺跡のど真ん中にある三ツ塚古墳の濠からでした。土師の里遺跡は古墳造りに活躍した豪族土師氏の本拠地として知られています。修羅の使われた年代には5世紀説と7世紀説があってどちらとも決めがたい状況にありますが、いずれにしても土師の里遺跡に本拠をおく土師氏が古墳造りに勤しんでいた時代であります。ということは、修羅は土師氏が古墳造りの工程の中で使っていた可能性がすこぶる高いのです。
現在も「土師ノ里」という駅名があります。
野中古墳出土の甲冑
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by jumgon | 2010-08-28 11:05 | ★資料館・博物館
石器時代というとあまりに話が古くそんなこと調べてたら、頭が混乱する!

でも、藤井寺・羽曳野には石器時代の遺跡が残ってるのだ!
(国府遺跡)旧石器時代から、縄紋・弥生時代の人骨の出土など古くから学会に注目されている。現在までに100体近くの人骨が確認された。
縄紋時代の人骨は、手足を折り曲げて埋葬された状態(屈葬)で確認され、当時の新聞は、世界的にも稀な例として国府遺跡人骨出土の報を伝えました。
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出土した玦((ケツ)状耳飾り(シュラホール展示)
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これは人骨にくっついた状態で出土したそうです。こんなイヤリング見てるとかなりオシャレで、原始的なぼろ服まとった縄文人のイメージが覆される。

羽曳野市にも、、、、(翠鳥園遺跡)がある。

羽曳野丘陵の一帯には旧石器人の生活の跡が数多く残っています。向こうに見える二上山のふもとからサヌカイトが運ばれ、石器が作られていました。
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(●が翠鳥園遺跡) 翠鳥園遺跡では石器類は遺跡のあちこちに散らばっているのではなく、1mmから2mほどの限られた範囲にまとまっています。石器類が集中する場所の中には、打ち割られた石片や石くずが飛び散ったようすがそのままに保たれているものもあり、そこが石を割った場所、すなわち石器作りの場所(アトリエ)であったことがわかります
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by jumgon | 2010-08-27 19:35 | ★資料館・博物館