古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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カテゴリ:★辰砂・水銀( 3 )

辰砂について、新しい情報(私にとって)見つけましたので、追加します。
http://www.museum.tokushima-ec.ed.jp/cc/51.htm
(徳島博物館)より

辰砂(しんしゃ)の精製
高島 芳弘
 

神聖な色「赤」 

赤い色は神聖な色として、旧石器時代、縄文(じょうもん)時代から土器や木製品の表面に塗られたり、人を墓に埋葬するときに上から振りかけたりして使われてきました。これらの赤色顔料にはベンガラと辰砂(水銀朱)の二種類があり、鉛丹(えんたん)は奈良時代になるまで使われませんでした。

 西日本では弥生時代のおわり頃から赤色の顔料として辰砂が多く使われるようになり、古墳時代はじめには辰砂が古墳の石室に多く振りまかれるようになります。
◎そうか、辰砂の粉末は振りかけられただけなのか、、、、。私は何か接着剤があったのかどうか疑問だった。遺体や石棺が動き出すわけないから、振りかけるだけで十分だったんだ。土器なんかには粘土に混ぜたのかな?
奈良県の大和天神山古墳の竪穴式石室の中には41kgの辰砂が使われていました。(⇒誰も埋葬されていない古墳)

古墳の石室には人骨が残ることが少ないので、赤く染まった人骨は甕棺(かめかん)などから出土した弥生時代のものが多く知られていますが、出土しています。(図1)
徳島県鶴島山二号墳出土 
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辰砂の採掘・精製と石臼・石杵 

辰砂の採掘は縄文時代から行われており、なかでも伊勢水銀として古くから知られている三重県勢和(せいわ)村丹生(にう)付近では、縄文時代後期の度会(わたらい)町森添(もりぞえ)、嬉野(うれしの)町天白(てんぱく)の両遺跡から、辰砂の付着した石皿、磨石や朱容器と考えられる土器が数多く出土しており、このころから辰砂の精製が行われていたことがわかります。徳島市国府町の矢野遺跡においても縄文時代後期から辰砂の精製が行われていたようです


 弥生時代以降の辰砂の採掘では徳島県阿南市の若杉山遺跡が有名で、弥生時代終末期~古墳時代初頭の一大産地であったと思われます。
若杉山遺跡出土
f0215268_20412036.jpg

 
 古墳からの出土品には、福井県丹生郡の朝日古墳群中条4号墳から出土したものや大阪府の野中古墳の出土品のように、きれいに整形されているものが多く見受けられますが、なかには福島県の会津大塚山古墳出土例のように自然石を利用したものもあります。
 
 若杉山遺跡では、石臼は40点以上、石杵は300点以上出土しています。大部分の石臼には石杵によって叩かれてできたくぼみが何カ所かあり、石杵には両端に潰れた跡や小さく欠けた跡がみられます(図3)。これらのことから、若杉山遺跡では辰砂の採掘、おおまかな粉砕の作業が中心に行われており、微粉化はあまり行われていなかったのではないかとも考えられてきました。
 
  
 名東遺跡出土のすりつぶしに使われた面を持つ2点の石杵はこれだけであり、ここにいったん集めて畿内方面に再び運び出したと考えるには、石臼・石杵の量が少ないような気がします。
徳島市の名東(みょうどう)遺跡出土の石杵
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板野町の黒谷川郡頭遺跡、徳島市の矢野遺跡も同様だと思われます。 
 これに対して辰砂の産地とは遠く離れた兵庫県龍野(たつの)市の養久(やく)山・前地(まえじ)遺跡から朱の付着した非常に大きな石臼が発見されています。ここの住居跡で最終的な精製を行い周りの集落に配布していたと考えられています。 

辰砂の流通 
弥生時代終末~古墳時代初頭の辰砂の採掘遺跡である若杉山遺跡が確認されて以降、古墳の石室で辰砂が大量使用されること、ほかに採掘遺跡が見つかっていないことから若杉山遺跡から畿内へ向けて辰砂が運び出されたと考えられてきました。

◎あれ、ヤマト地方にはそんな遺跡は出てないのかな?まだ発掘されてないだけかな?
しかし、辰砂を産出しない龍野のような地域で、辰砂の最終的な精製が行われていたとすれば、辰砂は産地から消費地へ直接運ばれたと考えた方がよいのではないでしょうか。辰砂をすりつぶすための石臼・石杵がもっと多く出土する遺跡が出てきたときに、そこを集散地的な性格のムラと考え立地と合わせて検討する必要があります。
 古墳出土の辰砂の産地については、はっきりとはわかっていません。なかには赤い色が水銀朱なのかベンガラなのかさえわかっていない場合もあります。
 
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by jumgon | 2010-11-24 21:04 | ★辰砂・水銀

辰砂・水銀とは ②

水銀の話 ②
古代に宇陀では辰砂がとれた、と「辰砂・水銀とは ①」でお話ししました。

補足を書きます。
宇陀地方の辰砂採取は4~5世紀にまでさかのぼれ丹生氏が採取していました。
ただこの頃は露天での採取だったようです。水銀の坑道採掘は6世紀後半に秦氏によってはじめられ、この宇陀の地は秦氏の管轄下におかれたようです。
宇陀の水銀採取は平安初期にはおわり、その後は伊勢の水銀に代わっていきました。

前回の水銀の話は、分かったけどもう一つハッキリしないという方もいらっしゃると思うので
続編を書きます。(分かってないのは私なんですけども、、、)

辰砂と水銀は一緒なのか?、、、

銀色の液体状のものが水銀(Hg)です。
日本語ではみずかねと呼ばれていた。 漢字では古来「汞」の字をあて、現代の中国語でもこの表記が正式である(中国でも「水銀」は通称として用いられる)。

水銀の化合物が、硫化水銀・辰砂(Hgs)で固体です。次ぎの二種類があります
•辰砂 - HgS(三方晶系)
•黒辰砂 - HgS(等軸晶系)。
別名に賢者の石、赤色硫化水銀、丹砂、朱砂、水銀朱などがある。日本では古来「丹(に)」と呼ばれた。水銀の重要な鉱石鉱物。


岩石状のものが辰砂で液体状のものが水銀なんですね。
宇陀の鉱山ではほとんど自然水銀(液体状のもの)はとれず、硫化水銀(辰砂・固体)でした。

日本における辰砂・水銀鉱山
WIKIより

丹生鉱山(にうこうざん)
三重県多気郡多気町(旧・同郡勢和村)にあった水銀鉱山である。ここでは自然水銀の産出が多い。縄文時代から丹生鉱山とその近辺で辰砂の採掘が行なわれていた。丹生鉱山に隣接する池ノ谷・新徒寺・天白遺跡からは、粉砕した辰砂を利用した縄文土器が発掘されており、辰砂原石や辰砂の粉砕用に利用したと見られる石臼も発見されている。さらに、40ヶ所以上に及ぶ採取坑跡が付近から発見されており、辰砂の色彩を利用した土器製造と辰砂の採掘・加工が行われていた。


徳島県阿南市水井町には若杉山遺跡が存在している。同遺跡からは石臼・辰砂原石が発見されており、古墳時代の水銀採取遺跡として知られている。この付近には江戸時代末期に発見された水井鉱山(由岐水銀鉱山)があり、近隣の那賀郡那賀町(旧・鷲敷町)仁宇には、丹生神社を合祀した八幡神社が存在する。また、この付近一帯は「丹生谷」と呼ばれている。


高野山麓には丹生都比売神社が存在し、ニウヅヒメが祭神となっている。ニウヅヒメは元々、大和国の丹生川のはてに住んでみえたので名付けれたという。現在、ニウヅヒメは「祈雨止雨の神」であり、同神社は同信仰の拠点となっている。また、ニウヅヒメは伊勢国に姿を見せたともされている。
同地は丹生氏の本拠地だったともいわれ、水銀にまつわる神と考えられる。この事から丹生都比売神社と、同町丹生地区の丹生神社は祈雨止雨信仰と共に水銀鉱業に関するつながりもあるものと見られる。
ただし、元来、ニウヅヒメと祈雨止雨信仰は無関係のものであった。これは古代の水銀鉱業の衰退に伴い、丹生氏が水銀鉱業から農業に生業を転換していく際、農業に重要な水を司る女神であるミヅハノメを主神に迎え入れた。この結果、ニウヅヒメとミヅハノメの混同されるようになり、ニウヅヒメは「祈雨止雨の神」となってしまった。
◎大和宇陀地方にたくさんある水分神社も元来は辰砂採掘地の縄文神を祀っていたが、後に水分神社と言う名称が与えられ、今では、農業神、水の神を祀る神社と思われている。水分神社のことは又別稿で書きます。)
一方、丹生神社にはカナヤマヒメとカナヤマヒコの男女一組の神も合祀されている。他の鉱山でも「山神」として祭られる事もあり、鉱山に密接した神といえる。


水銀の性質
水銀は、各種の金属と混和し、アマルガムと呼ばれる合金をつくる。これは水銀が大半を占める場合には液体、水銀の量が少なければ固体となる。白金、マンガン、鉄、コバルト、ニッケル、タングステンとは合金を形成しないので、水銀の保存には鉄の容器が用いられる。

水銀の保存には、鉄の容器を用いるのか!
粉状の辰砂粉末の保存容器はどんなものがいいのだろうか?
天神山古墳の辰砂は「木櫃」に入ってたけど、、、。


それから、私には分からないことがあります。
「辰砂は顔料に使用される、、、」と辞書には書いてあるが、石棺や人体などに塗るときは粉のまま塗ったんだろうか?粉状のままでは、パラパラ落ちてしまうと思うけど、、、、。日本画では「岩絵の具」をニカワ液でといて用いるけど、、、。
ようするに接着剤的なものはあったのか、無かったのか、分からないのです。

どなたか知ってる方は教えてください。


★ あるお寺で清めの為、塗り香というものを手につけたことがあります。微粉末なので粉だけでわりあいにとれにくかったのを覚えています。だから接着剤はいらなかったかもしれません。
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by jumgon | 2010-11-01 22:21 | ★辰砂・水銀

辰砂・水銀とは?

宇陀の水銀で、ミムロ地方が栄えたと田中八郎氏の書物に書いてある。

◎宇陀の水銀で大和が栄えた、というは本当だろうか?
丹生のつく地名は水銀と関係がある、と書物で読んだことがある。
だけど宇陀には見つからない。(ありました!奈良県宇陀郡菟田野町入谷の丹生神社・榛原町雨師の丹生神社)
三重県や和歌山には丹生神社がどっさりあるのに、、、、、。


WIKIでは古代では、伊勢がおおきな水銀産出地とかいてある。
戦乱によって損壊した大仏を再建するために用いられた水銀は、全て伊勢産であったと考えられている。

◎あまてらすを伊勢に祀ったのは、これと関係がありそうな気がする。

他に情報はないかな?

見つかりました!いろいろな趣味の方がおられるということがよくわかりました!

「気ままに鉱山・炭鉱めぐり」
http://wing.zero.ad.jp/~zbc54213/index.html
以下、ここより情報をいただきました。

大和水銀鉱山
奈良県宇陀郡という地域は万葉集の「大和の宇陀の真赤土(まはに)のさ丹(に)つかば・・・・云々」という歌にもあるように古代から辰砂(朱砂)産出の多い地域である。(”丹”というのは水銀の意味である。) 水銀採掘はその後も続いていたと思うが特に明治に入ってからは政府の植民地政策であらゆる金属の増産が叫ばれ水銀も例外ではなかった。かつて立派な辰砂や自然水銀を産出したことで有名な鉱山でしたが、公害汚染を防ぐため、ズリは現在埋め尽くされて、現在では何もないようです。

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◎ナルホド、宇陀から辰砂が出たのは本当だ!

水銀とは
水銀(元素記号:Hg、原子番号:80、比重:約13.5)の歴史は古いしまた使用範囲も広い。一般には縄文時代にはすでに顔料として使われていたと言う。顔料とは簡単に言うと塗料だ。その各種の色の元になる物質だ。水銀はその原鉱石である辰砂(朱砂)の赤っぽい色を利用して赤の顔料として使われていた。


◎水銀と言えば私などは水銀体温計ぐらいしか思いつかないがあの銀色の光沢のある液状のものが元は赤い石ころだったなんて自然て実に不思議です。
古代人って直感力や観察力、洞察力がすごいんですね。

他にも用途としてはたくさんありますが特に古代中国では”不老長寿”の薬としてもつかわれていたことはもう常識ですね。当時、埋葬された古墳などの骨から高濃度の水銀が検出されているそうです

【中国の水銀の歴史と効用】
中国の水銀は産出量も多く、利用の歴史も長い。殷王朝(前1100年頃)の遺跡「殷墟」から発見された玉製の戈やト辞を刻んだ甲骨からは水銀朱が使われていて、すでに高度な水準だった。秦の始皇帝は前210年に不老不死の実現を試み、蓬莱山から神仙薬の入手に奔走している。ヤマトで水銀の発掘が始まる1200年前から中国では水銀の利用が重ねられていた。
また水銀の効果は防腐力という点ですさまじい。遺体の防腐に成功した事例として中国湖北省の荊州博物館のミイラがある。1975年に発掘されたミイラは薄紅色の液体に浮かんでいた。そばの竹簡によれば、紀元前167年の遺体である。そのミイラは内臓も鼓膜もほぼ完全に保たれ、胃には胃潰瘍の後まで残っており死因まで確認できる。驚く事に2200年間内臓と鼓膜まで保存した技術であった。容器の中にあった液体は硫化第二水銀であった。この事からも中国の水銀技術は世界に比類なき高度なものであり、この技術を発展したのが漢方の薬学であった。

◎ミイラの話はいつか新聞で読んだことがある。オドロキの防腐力ですね!

【漢方の薬学と水銀の関係】
不老不死の究極の願望を身近に近寄せたのが漢方である。700に及ぶ処方の研究は、水銀を主原料とする薬で不老、神仙、軽身を効能に掲げ、長命を目指した医薬だった。
富裕層が競って服用したが、老衰と発病にかかり、それでも大陸水銀の品質の問題にした為に蓬莱山に水銀を求め、その行軍が徐福であった。東海の島にあると言われる蓬莱山を目指した一行は和歌山県新宮市に渡来したことになっている。彼の目的が辰砂だとすれば、熊野に上陸して植民したコースは神武天皇が宇陀水銀を目指したコースと重なる。
 話は変わるが小さな切り傷などケガをした時に最近はバンドエイドを貼ったりスプレー式の物で傷口を保護したりするが昔は赤チン(正式にはマーキュロクロム液)を塗っていた。 この赤チンに今は入っていないがかつては水銀が入っていた。
 金属鉱物の製錬でこれほど便利なものはほかにあまりない。ただし毒性を除いてはだが。第一に入手が比較的に簡単。そして多くの金属と溶けやすい性質がありアマルガムを造りやすい。沸点が低く(約350度ぐらい)分離(精錬)がたやすいなど考えようによっては精錬にうってつけの金属である。(ただし日本では現在は水銀は使われていない)
 
東大寺の大仏さん建立時の金メッキで大量の(三重県の丹生鉱山)の水銀が使われたことはあまりに有名です。大仏にメッキ(鍍金)の金を定着させるために人足たちは手に持っている松明を近づけてその火で水銀を蒸発させた。当然顔は松明より下に離さないと蒸気を吸い込んでしまう。そういう注意はされたとは思うが、この時代には水銀蒸気の有害性はわかっていたのだろうか?
察するに相当の水銀中毒犠牲者が出たことだと思う。

水銀が採れるところ
水銀は深い地層にあるものだが、宇陀と桜井と高野山で採取されやすかったのは、断層で地表に近づいたからです。
伊勢から室生・桜井・飛鳥・高野山・紀ノ川河口へさらに徳島・松山までが列島最大の中央構造線と呼ばれる断層です。

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水銀の呼び名
硫化水銀の素鉱は、丹・丹砂・朱・朱砂・真朱・真珠・銀朱・水銀灰・辰砂・巴砂・越砂と記述されている。
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わが国で採取される水銀のほとんどが辰砂(硫化水銀)なのは火山地質層であるので硫化物になるのが少ない。
銀色のブヨブヨした純水銀は少ない。
辰砂の結晶は光沢があり美しいが少しの打撃で粉砕されるほど硬度が低く、宝石にはならない。
辰砂の粉末の粒子を細かくするほど、朱のようにオレンジ色になります。
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⇒<天神山古墳>出土品
◎私みたいな人間でも、硫化水銀の素鉱を偶然石にこすりつけ、赤い色がつくのに気付いて、塗料として辰砂の利用を思いついたかもしれない!! (縄文時代人なみになれるかも、、、)

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by jumgon | 2010-10-30 15:06 | ★辰砂・水銀