古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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カテゴリ:★宇陀( 4 )

阿紀神社のすぐ近くに
阿騎野・人麻呂公園(中の庄遺跡)と万葉公園(かぎろひの丘) がある。

先ず、阿騎野・人麻呂公園(中の庄遺跡)へ行きましょう。

阿騎野・人麻呂公園は中之庄遺跡を埋め戻して整備された公園である。
中之庄遺跡のあたりは、大宇陀町のほぼ中央部で、宇田川支流の本郷川と黒木川に挟まれた微高地である。この地からは、東の”かぎろひ”の立つ高見山をはじめとして、宇陀の連山や吉野の連峰などを望むことができる。

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大宇陀町は平成7年(1995)度に中之庄遺跡の発掘調査を実施し、弥生時代、飛鳥時代、中・近世の3時期にわたる遺構を発見した。弥生時代の遺構としては、前期から中期にかけての土坑と、方形に溝を巡らした墓が見つかり、この地が宇陀地方の中でも最も古く、弥生時代前期から生活の痕跡が残る重要な場所であることがわかった。
 飛鳥時代のものとしては、桁行5間、梁間2間の規模を持つ大型の掘立柱建物を中心にして、付属する建物群や、石敷溝、苑池状遺構などが周囲に配置されていた。同時に出土した土器から、これらの遺構が作られた時期は7世紀後半から末ごろと推定され、古代の狩(薬猟)場とされた「阿騎野」の重要施設が当地にあったことが判明した。

桁行5間、梁間2間の規模を持つ大型の掘立柱建物
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『日本書紀』は推古天皇19年(611)の陰暦5月5日に、菟田野で薬猟が行われたと記している。
菟田野とは宇陀の阿騎野のことだろう。その日、参加者は夜明け前に藤原池のほとりに集合し、曙に出発した。粟田細目(あわたのほそめ)が先導者として列の先頭に立ち、しんがりは額田部比羅夫(ぬかたべのひらぶ)が勤めたという。さらに、参加者はみな冠位の色と同じ服を着て参加した。さぞかし華やかな鹿狩りの光景が展開されたことであろう。

◎参加者は夜明け前に藤原池のほとりに集合し、曙に出発したと書いてあるけど、じゃ飛鳥からいつ出発したの?暖かい頃だから、前日出発して野宿したのかな?とにかく古代の方は早朝から活動されてる!!

その頃は、公園内に復元された掘立柱建物や竪穴式住宅などは、恐らく無かったであろう。朝廷の御狩場として定着するに従って、さまざまな施設が作られていったと推測される。

持統天皇6年(西暦692年)、草壁皇子の遺児である軽皇子(683-707、後の文武天皇)の一行が、狩を行うためこの地を訪れ、野宿した。軽皇子はまだ10歳の少年だった。一行に同行した宮廷歌人の人麻呂は、狩りの日の朝、払暁の雄大な阿騎野の情景をこの歌に詠みこんだとされている。

万葉集 巻一 四十八 柿本朝臣人麻呂
東の野にかぎろひの立つ見えてかへり見すれば月かたぶきぬ 

この歌は当地で寒い日の明け方の景色を詠んだ歌。「かぎろひ」の立つ日は大和盆地でも判るそうだ。その寒さが」知らせる。
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上は竪穴式住居

◎飛鳥時代も竪穴式住居なん? こんなん縄文時代とちゃうの。」と誰かが言っていたがとんでもない。掘立柱の住居に住めた階層はごくごく僅かであり、多くは官営の建物か有力者の住居だった。
一般庶民は多くが竪穴式住居だったのだ。地域によっては鎌倉時代、室町時代になっても、竪穴式住居に住んでいたのである。


宇陀の薬猟(くすりがり)

現在県宇陀郡大宇陀町を中心としたこの一帯は、飛鳥時代には菟田の「阿騎野」と呼ばれ、大和朝廷の御狩場の一つがこの地におかれていた。初夏を迎える5月になると、皇族たちや朝廷の高級官吏たちがこの地で薬猟(くすりがり)を楽しんだ。
薬猟とは、鹿の若角をとる猟のことをいう。鹿の若角は鹿茸(ろくじょう)と呼ばれ、陰乾しにして補強壮剤として用いられた。薬猟が変じて薬草採りを表すようになるのは、もっと後の時代になってからである。一般には、このとき女性たちも参加して薬草を摘んだとされるが、史書からはそのような事実があったかどうか確認できない。
薬草の本場が宇陀となったのは、薬猟の狩場になった山野だから、薬方の権威の地として名が高まったのです。
大宇陀町には日本最古の薬草園が今日も営業しています。(黒川重太郎商店、森野薬草園)
和薬方としてわが国最古の医薬辞典である「大同類聚方(808年)は、和薬処方100巻の大著です。その中にオオクニヌシの薬方が40条を数えその多くが宇陀産の薬石を素材としていたとみられます。

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by jumgon | 2010-11-10 13:51 | ★宇陀

宇陀の阿紀神社

アマテラスを祀った・阿紀神社

大宇陀町には古事記に出てくる場所がたくさんある。
○阿紀神社
○阿紀野・人麻呂公園
○万葉公園(かぎろひの丘)
の三ヶ所がごく近くにある。

先ず、アキ神社を訪れよう。

いかにも村の古社という雰囲気の場所だ。
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鳥居横にに石柱がある。
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石柱を読むと「式内郷社・阿紀神社」 「奈良県宇陀郡神戸村大字迫間 吾城野・神戸鎮座 明治32年8月」とある。
 明治時代にはこのの地名だったのですね。
祭神
天照皇大神
合祀 天手力男命、秋姫命、八意思兼命

阿紀神社の鳥居の脇に、この神社の由来を書いた説明板が立っている。それによると
古文書がこの神社に残っていて、当社が天照大神を祀る所以を次のように記しているという。すなわち、神武天皇が紀州熊野の難所を越えて宇陀の地まで進軍してきたとき、この地で御祖の神(=天照大神)を祭って大和の方へ押し出すと、日神の威勢に背中を後押しされて賊軍を打ち払うことができた。そのため、この地に天照大神を祭祀するようになった、というのである。
 確かにこの神社の社殿は神明造り南向きであり、伊勢神宮正殿とまったく同じ建て方になっている。板塀に囲われているので、詳しくは分からないが、建物全体が直線的である。屋根を見ると、長く突き出た破風板(はぶいた)が左右に交わり、その先端が千木(ちぎ)になっている。棟の上に甲板(こういた)を付け、その上に堅魚木(かつおぎ)が列べてある。

伝承は伝承として、神武天皇の頃はまだ、当地に天照大神は祀られていない。
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上の写真は本殿。扉には鍵がかかっていた。

『日本書紀』は別の話を載せている。第11代・垂仁天皇の時代のことである。それまで豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)に託して大和の笠縫村で祀っていた天照大神を、倭姫命(やまとひめのみこと)に託して別の場所に祀ることになった。
◎大和の笠縫村で祀っていたというのは、桧原神社のことだと言われています。
<三輪山の話 ② しめ縄と三つ鳥居>をごらん下さい。


天照皇大神の放浪

創祀については、倭姫命の神幸伝承に求める説がある。「皇太神宮儀式帳」「倭姫命世紀」によると、倭姫命が天照皇大神の御霊を奉じて、大和の美和の御諸宮から宇太の阿貴宮、佐々並多宮、伊賀の穴穂宮、阿閇拓殖宮、近江の坂田宮、美濃の伊久良賀波の宮、伊勢の桑名野代官、鈴鹿小山宮、壱志藤方片樋宮、飯野高宮、多気佐々牟迤宮、磯宮、宇治家田上宮等から五十鈴川上に斎き祀ったという。

◎天照皇大神が色々な場所を転々としてたなんて知らなかった。待遇が悪かったから移っていったのかな?
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最終的には伊勢の五十鈴川上に今も大切に斎き祀られているのですが、、、、。
どういう理由だったのか気になる。天照皇大神の放浪については機会があったら、調べてみたいと思う。

社務所は閉じられていて、普段は無人のようだ。旧神戸村と言うのは多分そんなに戸数は多くないようだ。
今では何か村の行事がある時だけ祭礼があるのだろう。
境内はそんなに広くない。
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阿紀神社の境内中央には、古びた能舞台が据えられている。
宇陀の地は元和年間(1615~1623)に織田藩の治所となり、その三代目の当主・織田長頼の頃に阿紀神社で能楽が奉納された。それを起源として、この能舞台では、寛文年間(1661~1673)から大正時代まで能楽興業が行われてきた。
 大宇陀町は平成4年に薪能をこの神社で再開し、平成7年からは「あきの蛍能」として6月中旬に能楽を開催している。能の最中に明かりをおとし、蛍が闇に放たれて幻想的な世界を演出するという。神社の前に位置する「かぎろひの丘」の麓を流れる水路は蛍水路と呼ばれ、蛍が育てられている。

能舞台
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「あきの蛍能」、、、、、想像するだけでも幻想的ですね。でも夜にここに来るのはちょっと遠いからムリかな?
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by jumgon | 2010-11-08 23:27 | ★宇陀

宇太水分神社を訪ねる

田中八郎「大和誕生と水銀」を読むまで私は「宇太水分神社」の存在を知らなかった。

宇陀には何度か訪れたことがあったが、今日は「宇太水分神社」を訪れることにしよう。

その前に、田中八郎「大和誕生と水銀」より
水分神社とは
水分神社は「水を生み水を配分する神様を祭る神社」という通説がある。
大抵の人は字面をみてそう思うし、神社縁起なんかにもそう書いてある。
が、そうではない。。
水分とは「鉱石を冶金すること」を指す。
水分神、それは特定の時期に一斉に現れて、天之水分・国之水分という職掌名はあっても固体の神名は封じられた神でした。
水分神は地元の縄文神だったものが、大和王権が新規開発した水銀や銅などの金属生産の現場担当になったものだ。
その論拠は長く細かくなるので、省略する。

大阪から宇陀へ車でいっても遠い。斑鳩や飛鳥・奈良からまだ30分以上走らないと着かない。
弥生時代の人は三輪山麓から宇陀までどうして行ったんだろう?歩いて?小船を利用して?
以前2~3回来たことがある、が。榛原から右折する道が狭いので来るたびに通り過ぎてしまって、今日も又Uターンして右折する道を探すハメになった。
でも車が混んでないので、遠くの山並みと美しい緑を楽しみながら、どうにか大宇陀のメイン観光地?である、「くすりの館」や「森野薬草園」あたりに着いた。

(地図で水色のアイコンのところは「御破裂山」、中の大兄の皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を倒す密談をした処と伝えられている。)

が、今日の第一の目的は「宇太水分神社」だ。
道の駅でおりて、ゆっくりマップをみる。
大宇陀町から菟田野町古市場へ行く道は「もしかしてかなり狭い道?」かと心配したが、そうでもなかった。
よく考えれば「古市場」という地名だ。むかし市場があって栄えた所なのだ。
大宇陀から菟田野町へ向かう道には「毛皮・レザー用品」の会社や商店がたくさんある。畜産加工業が盛んなところらしい。
そして、やっと着きました。!
道の両側には商店や民家のある道沿いにありますが、いかにも古いたたずまいです。
大和のおく深くにある国宝の社殿を有する「宇水分神社」、宇水分神社、ではありません。

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いかにも古い狛犬がいます。刻印を読むと「嘉永7年甲寅9月」とあります。
嘉永7年といえば1854年(56年前)、江戸末期、「安政」の直前です。
境内に薬の井(御神水)があります。 
  推古天皇が莵田野に薬狩りをされた時、この井泉で心身を清められたとの伝えから、この水を田にいれると稲が豊かに稔ると言われている。
頼朝杉 
  樹齢400年の杉は二代目の頼朝杉と言われ、初代は頼朝が杉苗を植えたとの伝えである。
境内には大きな「頼朝杉など古い大きな杉がたくさんあります。

まず、HPから
宇太水分神社の歴史
●第十代崇神天皇7年2月(古事記の注釈によると紀元前90年ごろ)  
     崇神天皇の勅命により祀られたと伝えられている。

●大和朝廷が飛鳥に置かれた頃
    大和の国の東西南北(宇太、葛城、吉野、都祁)に水分神社が祀られた

●推古天皇19年(西暦610年)   
    推古天皇が菟田野に薬狩りをされた際、薬の井で身を清められ たとされる

◇平城京遷都 西暦710年

●大同元年(西暦806年)        神封一戸が奉られる。

◇平安京遷都 西暦794年 

●延長5年(西暦927年)      
     大和四水分が大社に列せられ、祈年祭、新嘗祭、月次祭の案上官幣に預かる。

●平安時代末期(年代不詳)    
     源頼朝、幼少時に当社に詣でて、大将軍になれるかどうかを占うために杉を植えさせたとされる。

元応2年(西暦1320年)    
     本殿の三棟が建設される。(現 国宝)、棟木銘により判明

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こんな大和の奥深くに華麗な神殿があったなんて、、、、。
御祭神は
第一殿     天水分神 (あめのみくまりのかみ)・王権の神
第二殿     速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)
第三殿     国水分神 (くにのみくまりのかみ) ・縄文先住民の神

•本殿3棟
(同形の3棟が並ぶ。第一殿の棟木に元応2年(1320年)の墨書があり、他の2棟も同時の建立と推定される。3棟とも春日造で、隅木入春日造で建立年代の明らかなものとしては最古のものである。 )

摂社・末社がたくさんある。それぞれ丹塗りの華やかな社だ。
摂社
春日神社    天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
宗像神社    市杵島比売命(いちきしまひめのみこと) 
末社
恵比須神社   蛭子之大神(ひるこのおおかみ)
金刀比羅神社  大物主命(おおものぬしのみこと)

鳥居からでて帰ろうとすると「あれ!向こうに一の鳥居らしきものがある。」
行って見よう。
一の鳥居から
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道を挟んで川がながれている。
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土地のおじさんに聞いたら「ほうのがわ」とのこと。「どんな字ですか?」「芳野川ですよ」
ついでに気になってた、下水のフタの模様のことをきいた。
「あれは、鳥、、めじろだったかな?それと紫陽花と杉の木をデザインしたものです」とのこと。
わたしは、もしかしてこの鳥、ヤタガラスかな?と思ったんですけど、、、、
足は3本なかったけど~
何でも地元の人に尋ねることだ、とおもった。
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by jumgon | 2010-11-06 20:42 | ★宇陀
宇陀って一体どこにあるの?

「大神神社」や「大和の黎明期」によく登場した「辰砂の産地・宇陀」って、どこにあるかご存知ない方も多い事と思う。
今回は「大和の黎明期」に関係のある、土地の大体の位置を確認しよう。

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斑鳩町(聖徳太子・法隆寺)
葛城市(高鴨神社・一言主神社)
田原本町(唐古・鍵遺跡)
明日香(飛鳥寺・石舞台・高松塚)
三輪(大神神社・巻向)
天の香具山
榛原町(古事記にでてくる墨坂神社)
宇陀市大宇陀(ひんがしの丘・阿紀神社)
 宇陀市菟田野町古市場(宇太水分神社)
 宇陀市菟田野町高塚(八咫烏神社)
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by jumgon | 2010-11-06 19:21 | ★宇陀