古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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カテゴリ:  ○近つ飛鳥歴史資料館( 2 )

近つ飛鳥歴史資料館 ③ 武具・鉄製品・その他

展示品の中には、近畿だけでなく、各地の武具の出土品もあった。
中でもマロ塚古墳出土の物はほとんど腐食が感じられないものでビックリした。

古墳時代(熊本県マロ塚古墳出土 短甲、鋲留式)
鋲の突起が見えますね。脇の部分に2箇所 蝶番がついてるのがよく分かります。
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鋲止式眉庇付冑(熊本県マロ塚古墳出土)
天辺のお椀みたいなのは受鉢といいます。庇のスカシ彫りがおしゃれですね!
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甲冑(かっちゅう)の歴史 
古墳時代には、鉄板を組み合わせて作った、短甲(たんこう)が古墳に副葬される。鉄製の甲の出現は武器の発達をうながし、戦いの方法も大き(変化させた。
初めの頃、短甲は縦長の鉄板を組み合わせ、これを革ひもでとじ合わせたものであったが、次に方形の鉄板に変わり、さらに三角形の鉄板を多く組み合わせる形に変わった。そして、5世紀には鉄板のつなぎかたも革ひもから鉄の鋲(びょう)でとめる方法に変わっていった。
また、この頃には、騎馬に通した挂甲(けいこう)も出現した。
他方、冑(かぶと)には、先端が尖った衝角付冑(しょうかくつきかぶと)と、前部に庇(ひさし)が付いた眉庇付冑(まびさしつきかぶと)があった。
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衝角付冑には羽がついてるのですね! 
『挂甲』とは        
 甲の一種。鉄製小札(こざね)を革や紐で綴り合わせて胴部・腰部を中心として肩・脛・足部を防御するための中国から伝来した武具。

◎短甲と違って長いものですね!小札なので、馬に乗って腰や足を曲げてもOKと言うことですね。
藤井寺市・長持山古墳出土の挂甲と横矧板鋲留式衝角付冑
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挂甲の武人はにわ・時代 群馬県太田市飯塚町出土・6世紀末
◎この写真の「はにわ」は資料館に展示されていたものではありません。
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古墳時代鉄製甲冑の移り変わり(近つ飛鳥 解説シートより)
前期・・甲冑ともに革綴じ(三角形の鉄板を革紐で綴じあわせています)
中期・・甲冑ともに鋲留(鉄鋲で留めることでしっかりした防御具となります。小札鋲留、横矧板鋲留)
後期・・竪矧広板鋲留

以前「だれも埋葬されてない古墳」で紹介した「西墓山古墳」
も鉄製品の膨大な量の埋納例として出土品が紹介されていました。

「西墓山古墳」とよく似た埋納施設を持つ「長岡京市の恵解山古墳」も紹介されていました。
西墓山古墳と同じように、各たばに分けて埋納されていました。

下の写真は「西墓山古墳」の出土状況が保存されたもの(藤井寺市シュラホールにあります。)
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「西墓山古墳」埋納施設の様相(近つ飛鳥 解説シートより)
東施設(推定200点を越す刀剣など武具類を6つ以上のまとまりに分けて並べる。)
西施設(農工具を中心に推定2000点以上を納める。)
滑石製模造品(滑石でつくったミニチュア 鑿・斧・鎌・刀子)は西施設に収められていた。


野中古墳(藤井寺市)
野中古墳から甲冑群が出土していました。これはシュラホールでお話しました。(⇒シュラホール)
それについて初耳の情報!
野中古墳には計5個の箱が埋納されており、あの甲冑列(10組)はそっくりひとつの箱の中に入っていたのです。
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甲冑がひとつだけ入っている箱があり、その他の箱には、武具類、農工具類・滑石製模造品(剣・勾玉・革の鞘に入った小刀を模したもの・紡錘車あるいは鏡をもしたもの?・糸をつむぐ道具(おもり)・臼玉4万点
◎糸をつむぐ錘があったんですね。糸をつむぎ布を織っていたのでしょう。
人骨は出ていませんが、腐食したのでしょうか。
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滑石製臼玉4万点
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◎これらは、以前シュラホールへ行ったとき見ているのですが、あの時はどこの古墳からでたのか、はっきり区別出来てませんでした。(^^ゞ
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by jumgon | 2010-11-25 21:25 |  ○近つ飛鳥歴史資料館
近つ飛鳥博物館 ① 鉄鋌
秋季特別展「鉄とヤマト王権」
邪馬台国から百舌鳥・古市古墳群の時代へ


市の催しで、
大阪府南河内郡の大阪府立近つ飛鳥博物館で開催中の秋季特別展「鉄とヤマト王権」
邪馬台国から百舌鳥・古市古墳群の時代へ連れていってもらった。
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 今回の展示では、弥生時代後期から古墳時代にかけての鉄素材と鉄製武器・武具・農工具など、さまざまな鉄にかかわる資料を展示している。
タイミングよく、気になっていた鉄に関する展示と学芸員さんの説明があり、期待以上に私にとっては収穫があった。

館内では写真は撮れないので、パンフレット、ネットで探してきて載せました。

今回分かった情報を簡単に書きます。(現在のところの考え方で、また変化する可能性はある。)
①弥生時代の鉄製品出土は九州が多い
②古墳時代に入り奈良、大阪が圧倒的に多くなる。
③製鉄は日本ではまだ出来ず、鉄製品そのものを手に入れるか、鉄を加工して鉄製品を作っていた。
④日本での製鉄は古墳時代後半期・中世になってからである。


「鉄とヤマト王権 邪馬台国から百舌鳥(もず)・古市古墳群の時代へ」展は
鉄を基盤としたヤマト王権の成長過程と東アジアとの関係をさぐる特別展である。
同博物館の森本徹・総括学芸員による解説があった。

 5世紀代、日本列島最大規模の古墳が集中する百舌鳥・古市古墳群からは、これまでに数千点に及ぶ鉄器が出土している。それらは刀や剣、槍といった武器類や甲冑などの武具類、また斧やヤリガンナ、鋤・鍬先や鎌などの農工具類など、ほぼすべての種類を網羅し、時に数百点もの鉄器をひとつの埋納施設に納める例もある。
 

下の写真は大阪府藤井寺市長持山古墳
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いまだ実態の把握できていない古墳も多く残されていることから、百舌鳥・古市古墳群に本来納められていた鉄器の総量は、想像もおよばない膨大な量であったと推測される。これほどの「鉄」を古墳への副葬という形で消費していることからみて、百舌鳥・古市古墳群の被葬者達―それは言うまでも無くヤマト王権の大王たちであるが―、鉄を重んじ、潤沢な消費を可能とするだけの鉄を保有していたことを疑うことはできない。まさに彼らは日本列島における鉄を支配した大王たちであったのである。(⇒西墓山古墳
下の写真は大阪府藤井寺市の西墓山古墳の大量の鉄剣と農工具類
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 しかし、古墳時代の鉄を考える上で忘れてはならない視点がある。それは当時の日本列島では鉄の生産がいまだ行なわれていない可能性が高いということである。

 日本列島における鉄生産の開始期については古墳時代でも早い段階に想定する意見もあるが、現実に製鉄遺跡が確認されるのは古墳時代でも後半期をさかのぼらない。
すなわち弥生時代以来、古墳時代でも中ごろまでは、鉄器を作る原料は列島内で生産されていないとみなければならない。
では大量の鉄器やそれを作る原料はどこからもたらされたのか。その最大の候補地は朝鮮半島東南部地域である。
五世紀の古墳から出土する副葬品に「鉄鋌(てってい)」と呼ばれる分銅形をした薄い鉄板がある。奈良県大和6号墳からは、大小の鉄鋌が合計872枚、古市古墳群の大型前方後円墳、墓山古墳の陪冢(ばいちょう、家臣の墓)である野中古墳からは、多量の武器、武具と共に130点を越える鉄鋌が出土している。

鉄鋌の分布
奈良県・・・・大和6号墳(872枚)
大阪府藤井寺市・・・・野中古墳(130枚以上)
行者塚古墳(40枚)
私部南遺跡(大阪府交野市)
高宮遺跡(大阪府寝屋川市)
亀川遺跡(大阪府阪南市)
木戸原遺跡(南淡路市)
その他、福岡県・大分県・愛媛県・香川県・広島県・岡山県・兵庫県・京都府・和歌山県・滋賀県・愛知県・群馬県・千葉県・東京都
圧倒的に近畿、中でも奈良、大阪から出土している。


 その形状とまとまった出土状況から、このような鉄の板は鉄の道具を作るための地金であり、『日本書紀』にも記載のみられる「鉄鋌(ねりがね)」と目されてきた。

同じ形状を持つ鉄鋌は朝鮮半島当南部地域、すなわち加耶や新羅の地域でも多く出土していて、新羅最大の王陵である皇南大塚南墳からは大小あわせて1300枚以上の鉄鋌が出土している。
その出土地が朝鮮半島南部地域と、奈良、大阪といった近畿地方中央部の二箇所に集中していることから、鉄鋌は朝鮮半島東南部で生産され、加耶、新羅地域はもとより列島にまでもたらされた鉄の素材と考えられる。
実際に鉄器に加工されないまま古墳に納められる鉄鋌に、実用の素材ではなく威信財としての性格をみいだす意見もある。
 
効率のよい利器として列島に伝わった鉄の道具も、弥生時代における出土資料は九州島北部から山陰、丹後半島を中心とし、朝鮮半島との地理的な関係を反映した分布しか示さない。
しかし古墳時代にはいると、鉄製の武器や武具においても、その素材と目される鉄鋌においても、その分布の中心は近畿地方中央部、まさにヤマト王権の本拠地というべき地域に移動する。
 ヤマト王権の成立に、朝鮮半島の鉄が与えた作用は極めておおきく、その独占的な入手と消費こそが王権形成過程の一側面であった。そしてそれは百舌鳥・古市古墳群の時代にピークを迎え、膨大な量の「鉄」が古墳に副葬されるようになる。

◎独占的に鉄鋌を手にいれたヤマト王権はそれを各地の首長に与えたということになる。服従への恩賞だろうか~

なかでも奈良県大和6号墳から出土した鉄の地金である鉄鋌は、複製品と組み合わせて出土状況を再現しており、鉄鋌埋納の様子を実感することができる。
こんなにきちんと並べて埋められていたのですね!
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◎本当にこれを見た時は目を疑った。確かこれは、宮内庁書陵部所蔵品だ。
大鉄鋌の長さは約26センチ、小鉄鋌の長さは約7cm(目測なので、大体の目安と思ってください。)

これらの鉄鋌は,昭和20年に奈良県宇和奈辺(うわなべ)陵墓参考地の旧陪冢(ばいちょう)から出土したものである。この陪冢からは大鉄鋌282点,小鉄鋌590点が出土しており,出土した鉄鋌の総重量は約140㎏に及ぶと推定されている。
ウワナベとは、前妻という言葉が訛ったものだそうだ。


近つ飛鳥資料館とは関係ないが、鉄にかんする記事を書きとめておく。
鳥取県
平安時代の伯耆国鉄生産は9世紀に調として鉄鋌(てつてい)・鍬を出し、庸として鍬を中央に差し出した記録が延喜式にある。また1073年から20年間に東大寺封物として4340鋌 もの鉄を全国の中で伯耆国のみ差し出していることが平安遺文にあることは、平安時代伯耆国は一大製鉄地であったことが窺われる。
◎平安時代にはわが国でも鉄が生産されていたのですね!
11月19日朝日新聞
兵庫県淡路市黒谷 五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡
弥生後期(1世紀半ば~3世紀初め)の建物遺跡が見つかりうち12棟の竪穴建物では床面に赤く焼けた炉跡があった。鉄製品や鉄器作りに使ったと思われる石製工具も数多く出土したことから、鍛治工房と推定された。
鉄製品の原料をどこから入手し、製品がどこへ流通したのか、鉄が畿内で普及するという段階で、なぜ畿内中心部でなく淡路島に工房があったのか、等の謎がある。

◎鉄そのものの生産でなく、鍛治工房があったのですね。
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by jumgon | 2010-11-21 21:01 |  ○近つ飛鳥歴史資料館