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by jumgon
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カテゴリ: ○一須賀古墳群( 1 )

近つ飛鳥風土記の丘

日本を代表する群集墳・「一須賀古墳群」を保存し、褐貴重な文化財に触れ・学び・親しむ場として設置した史跡公園です。

ここに、「近つ飛鳥歴史資料館もあります。

*この資料館の名前の「近つ飛鳥」って、どういう意味?

資料館の学芸員さんが教えてくれました。

難波の宮から
●近い飛鳥が「近つ飛鳥」(大阪府南河内郡周辺)
●遠い飛鳥が「遠つ飛鳥」(いわゆる奈良県明日香村周辺です。)

 近つ飛鳥歴史資料館は大阪府南河内郡河南町にある、一須賀古墳群の地域に建っています。
 建築家・安藤忠雄氏の設計です。
コンクリート打ちっぱなしのユニークな建物です。
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階段のはるか先に神殿があるみたいな雰囲気ですね。
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一須賀古墳群は径15m前後の円墳内に横穴式石室を中心とする約250基からなる南河内最大の古墳時代後期群集墳です。 
1966年(昭和41年)、上野勝巳がその分布を紹介。古墳群は6世紀前葉から7世紀中頃に、基本的には丘陵先端から上方に向かって形成される。石室は羨道が短く、玄室平面プランは正方形気味で推移し、
石室内は2~3体を埋葬するケースが最も多い。遺物では金銀製品、ミニチュアの炊飯具が特徴的。


この古墳群は周囲の古墳と異なり、渡来系のものと考えられる副葬品が発見される。
特にミニチュア炊飯具と呼ばれるものが出てくることで知られる。
現在ここからは20例近く発見されているが、これは、滋賀県湖西地方などごく限られた範囲でしか発見されていない。また、古墳の近くから発見される須恵器、須恵器窯は朝鮮半島から技術が入ってきたごく初期の頃のものであることが分かっている。


ミニチュアの炊飯具
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 何という氏族がこの群集墳を形成したかは、非常に興味がある。上記のように、ミニチュアの炊飯具が多数出土することから、百済系渡来氏族の奥津城だったとの推測がなされている。その推測を補強するような史実がある。

雄略天皇の時代、百済の王族の昆支王(こんきおう)とその一族郎党が渡来して住み着いた場所は、後に「飛鳥戸郡」と呼ばれる土地であったという。
大和朝廷が百済王族に対して無人の原野を与える訳はない。昆支王が来朝した頃には、飛鳥戸郡やその周辺には、半島からの渡来人がすでに多数住んでいたはずである。百済王族とその郎党にはその中の一等地が下賜されたにちがいない。

一須賀古墳群はこうした百済系渡来人の居住地から指呼の距離にあり、彼らの奥津城、つまり共同墓地霊園だったと思われる。 


資料館の学芸員さんが横穴式石室を案内してくれた。
たくさんあるので全て見るわけにもいかない。
石室には、石棺もあるが多くは木棺だということだ。(釘らしきものがあった。)
とにかく山の中のかなり急な坂を登ったところにたくさんある。
木棺ならまだしも、大きな石棺が急な坂を上がったところにあり、どうやってこれを運んできたのだろう?と不思議だった。
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修羅なんかこんな狭い坂道で使えるだろうか?
石棺の素材は、近くの二上山のものもあるが、遠く高砂あたりの石もあるとのことである。

石室はたいていは小さな石を積み重ねて造られていたが人の背丈ぐらいの大きな石が使われた石室もあった。
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線刻などの修飾はないようだ。
下の写真は D-4号墳
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この古墳群から出土したものが資料館にある。

金製垂飾り付耳飾・銀製釵子(かんざし)
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金銅製沓復元模造品
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このきらびやかな沓、実際に履いてたものじゃないですよね。沓裏にまでジャラジャラ飾りがついている。
たしか「藤ノ木古墳」からもこんなのが出ていたと思う。
大王でもない人のお墓にこんなものが副葬されてたなんて!!

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by jumgon | 2010-11-22 23:22 | ○一須賀古墳群