古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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カテゴリ:★読書・放送・講演会( 19 )

杉本苑子 穢土荘厳

この本は多分10年以上前に読んだことがある。
私の記憶力はいい加減なもので、大まかな時代設定は覚えていたが内容はすっかり忘れていて、全く初めての本を読むのと同じ感覚だった。
丁度、飛鳥・天平の歴史を調べていて少しは知識ができたせいでこの小説をかなり消化することができた。
時代の前後がバラバラの知識がこの小説のおかげで流れの中におけるようになった。

杉本氏の著作は登場人物の性格設定は作者の推察・想像だと思うが、登場する実在人物や年代は正確だ。

おおまかなあらすじを記しておく。

藤原京から平城京に移り、橘美千代・藤原4兄弟・長屋王家滅亡(陰謀?)を経て、光明子を聖武天皇の夫人から皇后へとおしあげた。
さまざまな良心の呵責からか、聖武天皇は恭仁京、紫香楽の宮、難波宮など各地を転々した。
その時期に僧行基に出会い帰依する。
やがて遣唐使の吉備真備・玄昉らの帰国。
藤原四兄弟の疫病死。

世間の反発にやむなく平城京に戻った聖武天皇は世の疲弊を顧みることなく、己の魂の救済求め、大仏造立、国分寺建立を思いつく。
官寺以外にも私の寺院造りを奨励する。
◎多分この頃に葛井寺(藤井寺市)が建立されたと思われる。

聖武天皇は自分の命あるうちにと大仏開眼供養を執り行う。(金が足りないので顔だけ鍍金した状態だった)
聖武天皇後は光明子、孝謙天皇、藤原仲麻呂を中心に政務は進められ、吉備真備は追い払われる形で再度遣唐使として唐に渡ることになる。
大体のあらすじは以上である。

この本の中に登場する、大伴旅人、大伴家持、山上憶良、長屋王など名前だけ知っていた人たちの人生・生活を垣間見れて面白かった。

私にとって新しい知識は「三世一身の法」である。
これは官位の上下で開墾できる面積が決まっており、開墾する財力があるものほど私有地を増やせる。
大仏造立への布施の多寡により官位も与えられた。そして官位が上がればたくさんの私有地を持つことができるというシステムで、末端の民衆にはほとんど恩恵はなかったようだ。

国が大仏造立の資金捻出のため思いついた法のようだ。
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by jumgon | 2011-07-25 12:02 | ★読書・放送・講演会

[悪名の棺] 笹川 良一伝

悪名の棺
笹川 良一伝

工藤美代子著

私がこの本を手にとったのは、私とまったく違う世界の人間と思われる人物についての、野次馬的な好奇心からだ。
フィクサーとして日本の政界や経済界に君臨した「笹川良一」は恐い人、危ない人というイメージがあり、知らない世界を覗き見してみようと気持ちから読みはじめた。

氏について、毀誉褒貶、さまざまな評価があるようだが、私には本当のことは分からない。
工藤氏が色々な資料を渉猟して、笹川氏のアウトラインを描いたものを、こういう側面もあったのかと、面白くよんだ。

特にわたしが無知だった、第二次世界大戦後の東京裁判(極東国際軍事裁判)や戦犯という言葉についてや巣鴨刑務所の話はおぼろげな知識しかなかった私には勉強になった。
国家の指導者だった人、敗戦までは権力を振るった政治家や軍の指導者が一転して、ただの罪人(連合国側からの評価)になり尾羽うちからして、みじめな姿になったのは敗戦と言う現実だった。
そんな中で、人間のいやしさ卑怯なずるさを露呈する人と、プライドを保ち、潔かった人もいたらしい。
人間、学問や教養があって立派な人と思われていても、究極の状況におちいったら、その価値がすっかり変わる人もいる。

あと、氏のプライベートな記述の中で、愛人が八雲琴を習いたいというので、飛鳥寺まで送迎したと書いてあったが、いつか飛鳥寺を訪問した時に二弦琴がお寺のガラスケースに入っていたのを思い出した。宮尾登美子の「一弦の琴」を読んだ時期だったので、普段なら気づかない古ぼけた琴がに気付いていた。

●八雲琴について
飛鳥寺の長老であられた故山本雨宝(震琴)師は、八雲琴の演奏者として国の無形文化財の指定を受けておられ、生涯長きにわたり八雲琴を保存伝承され、口伝であったたくさんの曲を採譜し、また神前楽器であったこの琴を広く東洋音楽として紹介されました。


氏の生い立ち、価値観、プライバシーや、福祉事業、など幅広い話題にふれていて、これが本当の氏の姿かどうかは私には分からないが、ともかく幅のひろい人物だろう。

世の中、巨万の富をつかむ人もいれば、その日の暮らしにも困る人がいる。ほんとに、人間世界は幅が広い!!
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by jumgon | 2011-03-29 15:20 | ★読書・放送・講演会
昨日NHKラジオのNHK文化講演会という放送が面白かったので記録しておく。

本川 達雄という人だ。
早速調べてみると
ゾウの時間・ネズミの時間の著者である。
確か一度読んだ覚えがある。

著者の名も忘れていたけど~

http://www.athome-academy.jp/archive/biology/0000000104_02.html
より


本川 達雄の紹介
本川 達雄(もとかわ たつお、1948年 - )は生物学者、シンガーソングライター。専攻は動物生理学。

1948年宮城県仙台市生れ。71年、東京大学理学部生物学科(動物学)卒業。東京大学助手、琉球大学講師・助教授、デューク大学(アメリカ)客員助教授(86-88年)を経て、91年より東京工業大学理学部生物学教室教授、理学博士。専攻は生物学、動物生理学。主な著書に「サンゴ礁の生物たち」(85年、中公新書)、「細胞のバイオメカニクス(共著、90年、オーム社)、「Biology of Echinodermata」(共編著、91年、Balkema)、「ゾウの時間 ネズミの時間」(92年、同、講談社出版文化賞科学出版賞受賞)、「歌う生物学」(93年、講談社)、「絵とき ゾウの時間とネズミの時間」(93年、福音館書店)、訳著に「サンゴ礁の自然誌」(86年、平河出版社)、「生物の形とバイオメカニクス」(89年、東海大学出版会)等がある。
今年4月-6月、NHK教育テレビ「人間大学-生物のデザイン」に出演。“歌う生物学”と銘打って、毎回番組中で自作自演の歌を披露し話題に。今春、CD(「ゾウの時間 ネズミの時間」日本コロムビア)デビューも果した。
1995年8月号掲載
________________________________________
  
本川 達雄インタビュー

■ネズミもゾウも心臓は15億回打って止る
   生物学的にみると、人間の寿命は26,3年です。。



ハツカネズミの心臓はドキンに0.1秒、ゾウは3秒

──人間も含めて、世の中のいろんな生物を見ると、形や色、大きさがまさに多種多様です。どれももともとは同じ「生命」なのに、なぜ、こんなにいろんな生物がいるのかといつも思っていましたが、先生の著書「ゾウの時間 ネズミの時間」を拝読し、動物によって「時間」というものもそれぞれ違うということを知り、大変興味を持ちました。

本川 
そうなんです。心臓が1回打つのにかかる時間、呼吸するのにかかる時間、物を食べてからそれらが排泄されるまでにかかる時間、それから寿命にしても、動物によって異なるのです。
例えば、心臓が1回ドキンと打つ時間を心周期と呼びますが、ヒトの場合はおよそ1秒です。ところが、ハツカネズミなどは、ものすごく速くて1分間に600回から700回です。1回のドキンに0.1秒しかかかりません。ちなみに普通のネズミは0.2秒、ネコで0.3秒、ウマで2秒、そしてゾウだと3秒かかるんです。

──大きな動物ほど周期が長い、ゆったりしていますね。

本川 
実は、こういった時間を計り、体重との関係を考えてみると、どれも体重が重くなるにつれ、だいたいその4分の1(0.25)乗に比例して時間が長くなるということが分かっています。
4分の1乗というのは分かりにくい数字かもしれませんが、関数電卓でルートを2回押せば答えが出ます。まあ、大ざっぱに言えば、動物の時間は体長に比例すると考えてもいいですね。
つまり、体のサイズの大きい動物ほど、心周期も呼吸も筋肉の動きなんかもゆっくりになっていくということなんです。

──それで、われわれからみるとネズミはチョロチョロ、ゾウはのっしのっし、という動きになるわけですね。

◆私たちが考えている「時間」だけが「時間」ではない

そうした時間の違いは、ゾウやネズミ自身にとってはどうなんでしょう。
本川 時間が体重の4分の1乗に比例するということは、体重が2倍になると時間が1.2倍長くゆっくりになる関係です。体重が10倍になると時間は1.8倍になるんです。例えば、30gのハツカネズミと3tのゾウでは体重が10万倍違いますから、時間は18倍違い、ゾウはネズミに比べ時間が18倍ゆっくりだということになります。

──時間が18倍違うというのは、相当なことですね。

本川 
そうです。映像を18倍ゆっくりスローモーションで再生しますと、画像はほとんど動かないと言っていいくらいです。逆に18倍の速度で早送りしますと、目にも止まらない動きですよね。
ですから、ネズミからゾウを見たら、ただ突っ立っているだけで動かない、これは果して生き物だろうか、って具合でしょう(笑)。逆にゾウからネズミを見たら、ピュッっといなくなるわけですから、ネズミなんて果してこの世にいるのか、気にもしていないのかもしれませんね。

──確かに彼らは同じ地球上に生きているけれども、同じ世界を共有しているかどうかは疑問ですね。

本川 
それに、これだけ時間の速さが違えば、時間の持つ意味や、その時間を使っての生き方が動物によって大きく違っても不思議はないですね。
例えば、リンゴの木の枝から、リンゴ、鉄の塊、ネズミ、ゾウを同時に落とすとします。同じ高さから落とせばどれも同時に地面に着きますから、そういう意味ではすべてに同じ物理的時間が流れているのです。
でも、ネズミは落ちている間に「あっ、落ちる落ちる落ちる落ちる・・・どうしよう!」なんて言いながら、いろんなことを考えているかもしれません。
一方、ゾウは「あれぇ?」なんて思っている間にドスーンと落ちてそれでおしまいってことになるのかもしれない。いずれにしてもその間、ネズミにはネズミの、ゾウにはゾウの時間が流れていると言っていいでしょう。
現代のわれわれ人間社会では、時間というものを1秒とか1分、1時間、1日、1週間、1か月、1年・・・といったように、物理的、絶対的な単位を基準に考えますが、このように、自然界における時間、生物学的に見る時間というのも別な概念で存在するということです。

──われわれは物理的な時間だけが絶対だというように思い込んでいるところがありますが、それはいわば、人間だけの決めごとであって、他の動物にはそれぞれ独自の「時計」があるというわけですね。

◆縄文人の寿命

──ところで、動物の生きる時間、つまり寿命も体重の4分の1乗に比例するのですか。

本川 
だいたいそうです。だからおもしろい計算ができるんですよ。実は哺乳類の場合、いろんな動物の寿命を心周期で割ってみますと、15億という数字が出ます。つまり、哺乳類の心臓は一生の間に15億回打つという計算になるわけです。
ハツカネズミの寿命は2−3年ですし、インドゾウは70年近くは生きますから、ゾウはネズミよりずっと長生きなのですが、心拍数を時間の単位として考えるなら、ゾウもネズミもまったく同じ長さだけ生きて死ぬことになるわけですね。

──一生を生きたという感覚は、ゾウもネズミも同じ、ということですね。
ところで、15億回という心拍数からいうと、人間の寿命はどれくらいになるんでしょうか。

本川
26.3年です。

──現代は「人生80年」なんて言われていますが、えらい違いですね。

本川 
しかも、戦前までは「人生50年」と言われていたわけで、戦後のこの50年間で急速に伸びたとも言えます。
でも、現代人の寿命と動物の寿命とを同列に論じるのは無理があります。
こんな話があるんですよ。動物園のゾウは50歳を過ぎると歯が磨り減ってきてうまく食べられなくなり、食が細ると身体も弱ってきて、そう長くは生きられなくなるんだそうです。
「ゾウに入れ歯をすれば、もっと長生きするよ」と動物園の方が言っていました。

──確かに歯は大事です。身にしみてよく分かります(笑)。

本川
そうですよ。もし、煮炊きする技術もなく、入れ歯もなかったら、人間だって50歳を過ぎたら食べられるものがなくなってしまいます。
もちろん、入れ歯だけで80年というわけではないですよね。安定した食料供給、安全な都市や医療の発達等が飛躍的に人間を長寿化させた要因です。
実は、縄文人の寿命は31年だったという推測値があります。本来の人間の寿命はそのくらいなのかもしれません。15−16歳で子供をつくって、ある程度子育てして次の世代にバトンタッチしていくという循環だったんでしょう。


◆「おまけの人生」を有効に生きる知恵が必要_________________________

──そうすると、私などの年代は、子育ても終って、次世代を生産するわけでもなく、生物学的にみれば特に意味を持たない「おまけの人生」と言えますね(笑)。

本川 
確かにそうではあるんですが、でも私たちは単なる生物ではありませんから、生物学的とは別の意味のある人生を送ることができるはずです。
その知恵をどうつくりあげていくかが、これからの人間の課題ですね。

──「人生80年」も、人間という生物にとっての「時間」でもあるわけですからね。もちろん、誰もが80年という寿命をまっとうできるわけではないけれど、自分に与えられた時間の中では「おまけ」の部分は、ある意味では自分自身で設計して生きられる、やりたいようにやれる、自由な時間と言えるかもしれない。

本川 
そう考えられる人は、長い人生、きっと楽しく有効に生きられます(笑)。

──先生のお話で、動物と人間の時間の違い、世界観の違いがたいへんよく分かりました。考えてみますと、われわれ人間社会の中にも、そうした観念の違いからうまく意思の疎通ができなかったり、誤解を生じてしまったりすることが多々あるように思います。自分の時間や世界観を大切にするとともに、相手や周囲のそういったことにも配慮していくことが必要なんですね。



昨夜の放送内容は主に
◆「おまけの人生」を有効に生きる知恵が必要
と重なるが、医療、介護とその経済的負担、次世代へのしわよせとならぬ生き方、などについて語られていた。
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by jumgon | 2011-03-15 12:01 | ★読書・放送・講演会

永井路子「王朝序曲」

杉元苑子の「檀林皇后私譜」を以前読んだ。
奈良時代から平安時代への移り変わりの時代を描いている。

一つの見方だけでは偏ると思ったので、ほぼ同じ時代を扱っている
永井路子「王朝序曲」
を読んだ。

「檀林皇后私譜」の方は主に桓武天皇・安殿親王・嵯峨天皇の時代を、主に嵯峨天皇と皇后橘嘉智子を中心にすすめいる。
永井路子「王朝序曲」の方は、安殿親王(平城天皇)と桓武天皇との葛藤を中心にそれを取り巻く藤原氏の動きをかいている。

桓武天皇は帝王の座を狙って、義弟・他戸とその母井上皇后を死に追いやった。
さらには、長岡遷都に反対して謀反を謀ったという理由で、皇太弟早良を淡路に流し途中で死ぬにまかせた。
そうしておきながら彼らの怨霊に悩まされて後半生を苦しみ続けた。

その父の行為を批判し続けた平城(安殿)もまた謀反のうわさに怯えて、弟の伊予とその母吉子を死に追いやってしまった。そして父と同様、怨霊の恐怖に悩まされて皇位を降りてしまった。
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そのあと皇位を継いだ嵯峨天皇は、平城天皇の側近を厳しく処罰しないように、死刑はしないようにいう。
「死刑を行って怨霊を背負い込むのはご免だ」という。

古代天皇の資質・・・の一つである、酷薄な独裁志向を嵯峨天皇はもっていない。
◎これは筆者の言

桓武時代は長岡京から平安京への遷都造営、蝦夷地への出兵のために国庫の負担はあまりに大きかった。強力な指導力で国を引っ張ってきたかに見えるが実は国の財政は傾きかけていた。

桓武の国家は幻想の王国、そして桓武は幻想の巨人。
と筆者は書いている。

桓武と違って自分が政治を行う能力や意欲がないのを自覚していた嵯峨天皇。

嵯峨の時代になり、政治は臣下に任せ自分は漢籍・歌・書・女性に耽溺した。

それにもお金を使うが、都の造営や出兵ほどの巨額ではない。
そして、多くの后から生まれた子供は臣籍降下するよう臣下がオススメすることで国の財政負担を減らした。

律令国家が公地公民制を敷いていたのは初めの頃だけで、奈良時代にすでに荘園ができ。その所有者たちが富を蓄えはじめていた。
班田収受は公地公民が原則だがこれはとっくに崩壊し、私有地がどんどん増えていく。

そして桓武朝廷は徐々に現実的な妥協策で律令国家を変質させていく。
これを「王朝国家」「王朝社会」と呼ぶが藤原冬嗣がその序曲を奏でた。
こうして平安時代が始まっていったという。
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by jumgon | 2011-01-15 19:18 | ★読書・放送・講演会

鑑真和上

鑑真和上についての私の知識は教科書レベルのもので、唐からやってきて唐招提寺をたてた僧、という位のものだった。
鑑真上陸の地(鹿児島県・秋目浦)
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以前、永井路子氏の「氷輪」を読んで、鑑真を取り巻く人々や社会状況について少しは理解、想像することができた。
しかしこれは永井路子氏の目を通しての理解になるので、井上靖氏の「天平の甍」も読んでみた。

「氷輪」の方は主に鑑真和上が来日してからのことを書いている。現在の唐招提寺みたいな立派なお寺が、最初から日本朝廷によって用意されていたわけではない。
日本朝廷が戒律の師を求めてから、鑑真来日まで12年の歳月が経っている。その間に日本の社会事情も変わってしまっている。
来日当初こそ朝廷あげての大歓迎だったが、その後は5年間の東大寺での仕事の後、西京の地に土地を賜ったが、寺院を建立する十分な資金もなく苦労されたように書いてあった。
苦難の末やってきた日本での自分達の運命について、鑑真以下弟子たちはどんな思いだったろう。
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「天平の甍」は日本からの遣唐僧、普照を中心に話が進んでいく。
主に日本からの遣唐僧や留学生の唐に渡ってからの運命を描きだしている。

長い留学の間に病を得、なくなった者。
いつの間にか日本へ帰る意思をなくして、みずから留学僧としての保護をすてて托鉢僧となって大陸のいたるところを歩く僧。
また唐土に着くやいなや「日本へ帰りたい。日本でしか本当に生きるといった生き方はできない」といっていた僧が皮肉にも還俗して唐の女性と結婚し、子供を得、唐土に落ち着くという結果になるもの、といった様々な運命を描いている。

中国中央テレビで放映された連続ドラマ「鑑真東渡」より
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私にとって特に印象的なのは、数十年の唐留学生活、いわば人生の大半をひたすら日本へ持ち帰る経文を写すことに費やし、帰路経文と共に海に消えた僧業行だ。
あまりの虚しさに心をえぐられる。
当時の遣唐使船は難破がよくあり、無事唐に行きつく保障もなければ、日本に帰れる保障もない。
そして唐での生活の全てといえる膨大な経典の写経と「業行」本人は、何十年ぶりに復路の遣唐使船に乗船したが、その船は難破したのか行方知れず。
難破する鑑真の絵
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その消息が日本で分かるのも数年後になる。
小説ではハッキリと亡くなったとは書いてないが、同じ船に乗り合わせたほとんどが、漂着した土地の土人に殺害され、無事保護されて、唐にたどり着いたのは数名だったという。

全ての人間は生まれたときから死に向かって歩いている。
だからそれも又運命とはとはいえ、その虚しさはあまりに悲しい。

吉備真備のように二度も渡唐して無事帰国して、日本でそれなりの地位を築いた者もいるというのに、、、。

唐招提寺の概略を唐招提寺のHPより
唐招提寺は、南都六宗の一つである律宗の総本山です。
多くの苦難の末、来日をはたされた鑑真大和上は、東大寺で5年を過ごした後、新田部(にたべ)親王の旧宅地(現在の奈良市五条町)を下賜されて、天平宝字3年(759)に戒律を学ぶ人たちのための修行の道場を開きました。
「唐律招提」と名付けられ鑑真和上の私寺として始まった当初は、講堂や新田部親王の旧宅を改造した経蔵、宝蔵などがあるだけでした。
金堂は8世紀後半、鑑真和上の弟子の一人であった如宝の尽力により、完成したといわれます。

現在では、奈良時代建立の金堂、講堂が天平の息吹を伝える、貴重な伽藍となっています。

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by jumgon | 2010-12-27 19:34 | ★読書・放送・講演会
これは、橘 嘉智子を軸に周りを取り囲む人々を描いた小説である。
杉本苑子「二条院の讃岐」 の前の時代、<平安前期>を題材にしている。
          
     
49光仁帝・・・・・・・・・・・・・・・(井上皇后、他戸太子が獄死)

 50桓武天皇(山部親王)・・・・・・・・       

 51平城帝(安殿太子、母は乙牟漏皇后)・・・・薬子の乱(薬子は自縊)
   
 52嵯峨帝(神野王子、母は乙牟漏皇后)
             
 53淳和帝(大伴親王、父は桓武天皇、母は藤原旅子)         
           
 54仁明帝(正良親王、父は嵯峨帝、母は橘嘉智子) 
              
 55文徳帝(道康親王、父は仁明帝、母は藤原順子) 
 
小説だから、登場人物の性格、容貌、逸話などは、作者の想像、創作を交えていると思うが
          色々な書物を参照しながら作り上げたものと思う。

       面白いのは歴史上の有名人がイッパイ登場することだ。
            征夷大将軍         
             坂上田村麻呂                             
            三筆と言われた
            嵯峨天皇、空海、橘逸勢(橘嘉智子のいとこ)            
             同じ遣唐使船で唐へ渡ったメンバー
              空海、橘逸勢、最澄
                       等など、、、、
         下の書は左から橘逸勢、嵯峨天皇、空海の順です。
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      同じ文字でも、書から人物の違いを空想できそうですね!!

        そして、死因が怪しい色んな登場人物の死
             怨霊の出現におびえる心理
     一番恐いのは、、、祟りでなく権謀術数をつかって怨霊を創る人間だ、と感じた。

    小説が進むにつれ、それぞれ人物の心理がじょじょに変化していく、、、、。
     嵯峨帝の皇后になった橘嘉智子といとこの橘逸勢の関係が
     変化し、ついには逸勢の死を黙認(画策)するまでになっていく。
      明治期の大久保利通と西郷隆盛の関係を思い起こさせた。

     杉本氏の小説はいつもそうだが、血肉の通った歴史を想像することが出来た。
    
            折から民主党の代表戦選挙があった。
      何時の時代も似たようなことが行われているんだなぁ~と思った。
            (毒殺はないと思うけれど~)

 最後に印象的な言葉を記して置く
   
<四大元空>
 
  地、水、火、風の四元素から成り立つ人身は、死ねば元の空にー無に還る。
  死後の世界にまで延長して自己を認識する霊魂などというものは、実際には存在しない。     

  地獄を現出するのも浄土を形成するのも、すべて生き身の内の働きであり、だからこそ、
  今日ただ今のこの”生”をいかに生かすか、生きるかが、重大な問題となるのだ、
  との明快な把握であった。

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by jumgon | 2010-09-18 15:59 | ★読書・放送・講演会
「蝶々はなぜ菜の葉にとまるのか」稲垣栄洋 著 日本人の暮らしと身近な植物

わたしは植物が好き!そしてその不思議な営みや由来を調べたいと思って読んだ。軽い本なので疲れないし、知っていてたのしいエピソードがイッパイ書かれてる。
例えば、、、、
今の時代はお正月に門松をたてる。(昔みたいに立派な門松を立てる家もほとんどなくなったが、、、、)もともとは来訪する年神さまを向かえるために榊や樒などの常緑樹が家の入り口に飾られていた。松が主役になったのは平安時代後期、(中国でめでたいとされている松が正月の主役としてかざられるようになった。)、、、、
その他、お寿司を守るさまざまな植物とか~
興味ある人は読んで見て、、、。別にコマーシャル頼まれた訳じゃないけど
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by jumgon | 2010-08-26 10:54 | ★読書・放送・講演会
杉本 苑子 「二条院の讃岐」
「二条院の讃岐」という女性について、四人の女性が語るという構成になっている。
院政時代が背景なのでなかなかややこしい。
白河天皇(白河上皇)、鳥羽天皇(鳥羽上皇)、後白河天皇(後白河上皇)、崇徳天皇(崇徳院)、二条天皇(二条院)、源頼政、信西、源義朝、平清盛、以仁王、まで登場する時代の流れが語られる。
よく似た名前が多いので、ごっちゃになってしまう。歴史の流れはそのままで、登場人物は、作者が肉付けしたものだと思うが、そのおかげで、百人一首の作者と人物像が重なって、「ああ、そういうわけで、二条院の讃岐」って名前がついたんだ、とか分かって面白い。

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「我が袖は汐干に見えぬ沖の石の人こそ知らね乾くまもなし」  二条院の讃岐
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「長からむ心も知らず黒髪の乱れて今朝は物をこそ思へ」   待賢門院の堀川

「梁塵秘抄」を編んだのは、後白河天皇であるとか、、、

登場人物のイメージが正しいとも思わないが、時代を人物と一緒につかむ事でこのややこしい時代が少しは頭に入ったようだ。
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by jumgon | 2010-08-18 12:35 | ★読書・放送・講演会

宮尾登美子、山崎豊子

宮尾登美子氏の著書、読みついでに「寒椿」をよむ。
山崎豊子氏の「花のれん」 初期の作品。

二作品の時代背景が共通しているのを感じる。
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by jumgon | 2010-08-11 10:58 | ★読書・放送・講演会

永井路子の本

唐招提寺は高校生の頃から何度か訪れた事があるが、偶然、「唐招提寺金堂(国宝)の平成大修理」の一般公開のときに訪れることが出来た。(1~2年前?)その時先人の技術に驚嘆した。あとで永井路子の「氷輪」を知り読んだ。
鑑真和尚については教科書レベルの知識しかなく、唐招提寺を建立するのにいかなる努力、苦労があったかをこの本を読んでから初めて知った。
もう一度ゆっくり先人たちをしのびながら訪れたいと思う。
永井氏の著作では、、明治維新ごろに活躍した岩倉具視を扱った小説「岩倉具視」をよんだ。(NHK大河ドラマの影響か?)
素人の読書感想文は面白くも無いので、書かない。興味のある人は読んでみてください。
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by jumgon | 2010-08-05 09:06 | ★読書・放送・講演会