古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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カテゴリ:○葛城一言主神社( 1 )

記紀に「一言主の神の話」がのってる、葛城一言主神社(ひとことぬしじんじゃ)

何度か訪問してるけどいつも雰囲気を味わって散歩するだけだった。
今回はじっくり境内を見てみよう。
駐車場に車をおく。
社殿にいたる階段の手前にくると、亀石と書かれた小さな木札がみえる。
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どれが亀石かわからない。
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亀石
「亀石」といえば、飛鳥の「亀石」を思い浮かべます、ここにも「亀石」が~
 その昔、役の行者が災いをもたらす黒蛇を封じるために乗せた石がこの亀石だという伝えがあるそうです。
◎この亀石は役の行者の時代からあるの?

鳥居から階段がある。
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それほど長い階段ではないが、やはり神様は高いところにいるのがいい。

境内はそれほど広くない。

あがるとすぐに本殿
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本殿の横にはこんな像がある。
至福の像とかいてある。後ろの立て札にはボケよけ数えうたが書かれている。微笑ましい感じ!
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蜘蛛塚がある筈だけど~
木に隠れて見つけにくい。
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土蜘蛛というのは、古代に大和朝廷に従わなかったその地の首長や集団をさす蔑称だと言われています。
古代にこの地で、戦いがあったのでしょう。蜘蛛塚は土蜘蛛と呼ばれた人々の供養のために一言主神社の拝殿の脇にひっそりとあります。

さてwikiを見てみましょう

●祭神
祭神は一言主大神であり、大泊瀬幼武尊(雄略天皇)を合祀している。これは『古事記』や『日本書紀』にあるように雄略天皇が顕現した一言主神と邂逅したためである。
また、託宣神としての神格の類似性から一言主神と事代主命を同一視するような記述も表れた。
さらには近隣に出自を持つ賀茂氏に信仰された味耜高彦根命もその分身として混同されるようになった。

●歴史
神社鎮座地は前述の話における一言主神が顕現した地とされている。また、裏山である神山こそが顕現の地「カミタチ」であると伝わる。
神社一帯は葛城氏の本拠地で、綏靖天皇の皇居(高丘宮)があったという伝承が残る。
延喜式神名帳には葛木坐一言主神社と記載され、名神大社に列せられている。嘉祥3年(850年)に正三位、貞観元年(859年)に従二位と神階が進められていった。

●御神木は樹齢1200年というイチョウの古木(乳銀杏)で、本殿の南側にある。
県下最大の銀杏の御神木「乳銀杏」
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 本殿の前に立ち、樹高24m、幹周り4.3mの大イチョウは、子供を宿した母の姿に似て木の膨らみが妊婦の様に見え、垂れ下がった乳房からは今にも乳白色の滴が垂れそうなので「乳銀杏(ちちいちょう)」または「宿り木」とも呼ばれ、推定樹齢1200年の巨樹です。
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古木にしか発生しない「乳房」は、樹皮のコルク質が発達し表面が柔らかくなって出来た物ですが、これは巨樹の表面積を広げ、内と外の空気を交換する「気根」の働きを良くするラジエーターの役目を果たしています。
婦人が祈ると、健康な子が授かり、お乳の出が良くなるそうで、古くから子供を思う親の願いが込められ、地元の人々の信仰を集めています
●境内社
一言稲荷神社 への道
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境内社は本殿の北側にある。
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一番手前が「神功皇后社」と「八幡社」

日本書紀』雄略天皇の段に載っているお話。
(雄略)四年の春二月、天皇は葛城山で狩りをした。突然、背の高い人に出合った。顔や姿が天皇によく似ていた。
天皇は「神に違いない」と考えたが、「どこのものか」と尋ねた。背の高い人は、「私は姿を表した神である。
お前から先に名のれ。その後私が名のろう。」と答えた。
天皇は「わたしは幼武尊(ワカタケルミコト)である。」と名のると、背の高い人は「私は、一言主神である」と名のった。ともに猟を楽しみ、一匹の鹿を追って弓を放つことも互いに譲りあった。日が暮れて猟を終え、神は、天皇を来目河(くめがわ)まで送った。

『古事記』にも同じようなエピソードが載っているが、部分的に若干ニュアンスが異なる。例えば、雄略天皇は一言主神を見つけて、自分と変わらぬ装束や態度に驚き、「この倭の国に、吾以外に王はないはず」と怒り、互いに弓を構えて一触即発の状況となった。
そこで、一言主は「吾は悪事も一言、善事も一言、言い放つ神。葛城の一言主神だぞ。」と答えた。
「記」では一言主の方が先に名乗ったことになっている。
しかし、これを聞いた天皇は「あな恐(おそろ)し、我が大神」と大いにかしこまった。そして、従者らの着ていた衣服を全部脱がせて奉じると、一言主神は手を打って喜び、それを受け取った、とある。
まるで、山賊に出会って丸剥ぎにされたような記述だが、一言主神の威厳に満ちた態度は、『日本書紀』と同じである。
雄略天皇と言えば、古代史にひとつの画期を成した天皇だ。猛々しい英雄として「記紀」にも描かれ、熊本の江田船山古墳、埼玉の稲荷山古墳から出土した刀剣に「ワカタケル大王」の文字があった事から、日本統一がなったのはこの天皇の御代の頃とする説もあるほどだ。
それほどの天皇を恐れさせ、衣服まで献上させるとはこの「一言主神」というのは一体どういう存在だったのだろう。
葛城に、古代何か大きな勢力があった事を想起させる。


前回、役小角でこんな伝承を紹介した。

役行者がある時、葛木山と金峯山の間に石橋を架けようと思い立ち、諸国の神々を動員してこれを実現しようとした。
しかし、葛木山にいる神一言主は、自らの醜悪な姿を気にして夜間しか働かなかった。そこで役行者は一言主を神であるにも関わらず、折檻して責め立てた。
すると、それに耐えかねた一言主は、天皇に役行者が謀叛を企んでいると讒訴したため、役行者は彼の母親を人質にした朝廷によって捕縛され、伊豆大島へと流刑になった。こうして、架橋は沙汰やみになったという。

記紀の記述とは程遠い、人間臭く威厳のない神様ですね。
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by jumgon | 2011-05-26 19:10 | ○葛城一言主神社