古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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カテゴリ: ○墨坂神社(奈良県・宇陀( 1 )

墨坂神社

大宇陀から菟田野の水分神社へ行く右折の道を通り過ごしてしまった時、通り過ぎたので戻ろうとおもってたら、

道路沿いに墨坂神社って、書いてあって鳥居があるではないか!
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ビックリ!えっ、墨坂神社ってここなの?

日本書記の祟神天皇の九年三月(380年)
「赤盾八枚、赤矛八竿をもって、墨坂の神を祀り、黒盾八枚、黒矛八竿をもって大阪の神を祀った。」

というのを読んで、どの辺かな?そのうち地図を調べていかなくちゃ、と思ってた神社なのです。
一の鳥居の坂を上がると二の鳥居です。それをくぐると、広場があり間口の広い社殿があります。
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門を進むと鏡を祀った祭壇が見えます。

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実はこの日(11月3日)は榛原まつりで、「榛原の各地区のみこしがあちこち練り歩いて、ここに集合する」と神社のポスターに書いてありました。神輿到着は午後2時、今は12時。宇太水分神社や阿紀神社にもいきたいから、2時までは待てない。後で調べたら「赤盾八枚、赤矛八竿」をもった行列も通るらしい。(勿論レプリカだと思うけど)
お祭りの日だから祭壇が見えたんだ。
そういえば拝殿横には生花が飾ってあった。
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墨坂神社
所在地 近鉄榛原駅 南東600m
祭神 墨坂神(天御中主神、高皇産霊神、神皇産霊神、伊邪那岐神、伊邪那美神、大物主神の六柱の神を言う。)六人で一つの神様ですね。

摂社
○祓戸神社「瀬織津姫神、速開都姫神、主氣吹戸神、速佐須良姫神」
○恵比須神社「少彦名神」、
大山祇神社
○竜王宮「罔象女命(ミズハノメノミコト)


「社記」によると神武天皇東征当時にはすでに祀られていた神々である。
日本書紀によれば、神武天皇即位四年春鳥見山中に霊畤(マツリノニワ)を築かれ、天皇みづから皇祖天神を祭祀され「この地を上小野榛原(カミツオノハリハラ)下小野榛原(シモツオノハリハラ)という」とある。
その下小野榛原が即ち墨坂の地である。現在は西峠地区にあるが、神武天皇の軍が大和菟田に入られた時この墨坂において賊軍がいこり炭(山焼きの意)をもって防戦したため、天皇の軍は苦戦し菟田川を堰き止め消火して進軍した所でもある。


*谷川健一「青銅の神の足跡」に次ぎの記述がある。
「墨坂に焃炭を置けりと神武記にあるが、墨坂はたたらの炉の中に消し炭や砂鉄を投げ入れる炭坂という役目の名を思わせる。炭坂の名はつい最近まで出雲の菅谷たたらなどで使用されている。

*墨坂神社のすぐ傍を宇陀川が流れている。

日本書紀によれば祟神紀の九年三月(380)国中に疫病が蔓延したため、天皇はいたく悩まれていた。
或夜、御夢に神人が現れて「赤盾八枚、赤矛八竿をもって、墨坂の神を祀り、黒盾八枚、黒矛八竿をもって大阪の神を祀れ」告げたので、天皇はその教えに従って祀られたところたちどころに疫病は平癒し天下安泰になった

と記されており、この墨坂の神は当神社のご祭神で
大坂の神は香芝市逢坂の大坂山口神社のご祭神であるが、いづれも古代大和における東西の重要な道路を守る神々である。

これを読むと、祟神以前にこの地に祀られていたのは縄文神だった。
神武がやってきたとき(?)も抵抗し、祟神9年の時代にやっと王権派の支配下に入ったのだろうとおもう。

少彦名神、大山祇神社を無視できないのは、まだ先住民の勢力を無視できなかったのだと思う。
主氣吹戸神は辰砂か銅、鉄の冶金の神かな?
罔象女命(ミズハノメノミコト)は王権派がここもまた、水を治める神の位置付けをした。(田中八郎氏説)
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この頃には水田工作が広まってたのだろう。
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by jumgon | 2010-11-12 12:27 |  ○墨坂神社(奈良県・宇陀