古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

<   2011年 04月 ( 9 )   > この月の画像一覧

藤井寺①

4月19日から葛井寺は藤まつりだと南門に書いてある。いつも駅へ行く途中にそばを通る葛井寺。
身近すぎてかえってよく知らない。

南大門への道・酒造会社の白壁の塀
f0215268_172946.jpg

葛井寺南大門の手前左に辛國神社がある。ここの入り口の「ゆずりは」・濃い緑と新緑の美しいコンビネーション。この木にはいつも心を癒される。植物の力!
「ゆずりは」アップ
f0215268_17373975.jpg

f0215268_1742831.jpg

南大門てまえのお土産やさんの横に石の道標が~・あまり古くはなさそうだ。文字の刻印もハッキリとわかる。
f0215268_17434354.jpg


◎この石の道標については別稿でふれる事にする。


葛井寺は西国三十三所5番札所である。
札所とは何か?いつからそんなものができたのか?
そもそも葛井寺(ふじいでら)は何時創建されたのだろう?葛井寺について調べてみよう。


先ず今回は、葛井寺にいってみよう。
南大門まえの広場にはちょうど八重桜が満開。近所のこどもたちが集まって遊んでいるなんて光景は今は珍しくなっているのでうれしい気持ちになる。
f0215268_164425.jpg

南大門横の白い小さな花びらの枝垂桜。藤まつり期間中だということで、紅白の幕が南大門にかかっている。
f0215268_16463889.jpg

境内図
f0215268_16503083.gif


藤まつりだといってもまだ藤の花には少し早い。
でも、場所によっては咲いている。
阿弥陀二十五菩薩堂のまえに咲く藤
f0215268_16573363.jpg

f0215268_16592367.jpg

あれ、阿弥陀二十五菩薩堂の横に、不思議な石像が~
f0215268_1705776.jpg

その前には石で四角く囲まれたものが~。
f0215268_1725210.jpg

歴史ボランティアの方が藤まつり期間中はいらっしゃるし藤井寺のことをよく知っている酒造会社の方もいて、いろいろ教えてくださった。

「ああ、あれは役行者の像です。その前の四角く区切られたところで護摩焚きをして、吉野・大峰へ出かけたのですよ。」
「えっ、役行者?いつ頃の話?」
「役行者が生きてた頃です。(!!)多分昔から多くの人々がここから大峰へ修験にでかけたのでしょうが、この玉垣や石像がつくられたのは、50年くらい前です。」
要するに書物による記録はないが、古くから修験道が盛んだったということらしい。
わたしが以前住んでいた地域(羽曳野市・藤井寺市の隣)でも舅(明治34年生まれ)は毎年大峰登山をしていたと言う。主人も小学生の頃父親に連れていってもらったことがある。

◎葛井寺の創建には修験道のことは書いてなかったと思うけど~。
  神社やお寺はその変遷の過程でいろいろ民のニーズに応えて各種の信仰が付け加わるものらしい。


                                         <つづく>
[PR]
by jumgon | 2011-04-29 18:27 |  ○葛井寺(藤井寺市)

今井町で出会った花たち

天気のよい一日ゆっくりと散歩して、春を探しました。
きんれんか(何度か種まきした事があるけど、結局失敗。土があわなかったのかしら?
鮮やかな色に魅かれます。でも咲くの少し早くないかしら?)
f0215268_15561496.jpg

わすれなぐさ
f0215268_1559577.jpg

つきぬき忍冬
f0215268_1604194.jpg

ラベンダーもいっぱい種類がありますね。
f0215268_162675.jpg

玄関先にこんな大きな寄せ植
f0215268_1635431.jpg

丹頂草(さくらそうの横にある、やつでの葉っぱみたいなのがついてます。
これは私ははじめて見ました。名前を調べました、多分間違いナイだろうと思います。)
f0215268_165219.jpg

[PR]
by jumgon | 2011-04-25 16:08 | ★散歩、自然観察
奈良県橿原市の今井町に残る古い町並みは、中世の環濠集落を発祥とする、称念寺を中心とした寺内町で、江戸時代も自治が行われてきた日本でも極めて珍しい歴史を持つ町です。
いつも橿原神宮や飛鳥へいく途中、今井町の表示のある道路を通るのだが、そのうち又訪ねようと思いつつ、いままで訪れたことがなかった。駐車場はあるかしら?道は狭くないかしら?とか考えて今まで行き渋っていた。
高速南阪奈道路の高架下が駐車場になっているのを見つけて安心して行く事にした。

車を高架下において(駐車無料)今井町の標識をめあてに10分もあるかないうちに
何と、レトロな建物が目についてきた。
f0215268_13233431.jpg

正面から
f0215268_149546.jpg

これはいったいなんだろう?
入り口には「今井まちなみ交流センター」とあり説明板があった。
f0215268_13431261.jpg


今井まちなみ交流センター(華甍)
【旧高市郡教育博物館】(橿原市)◎県指定文化財
明治建築和洋折衷の美
 明治36年、大正天皇のご成婚に際し畝傍御陵を参拝されたときの御下賜金により建てられた。設計者は現在の大和郡山市民会館(旧県立図書館)などを設計した橋本卯兵衛氏。県内初の教育博物館として開館。昭和4年から同31年に合併により、橿原市が誕生するまで今井町役場として使われた。
 その後は、老人憩いの家や高齢者職業紹介所、市社会教育課、町並み保存準備室などに利用された。平成2年には県指定文化財に指定。建物の傷みも増えたため同3年度から3年間、県と国の補助を受け修理を行い同7年に「華甍(はないらか)」としてオープンした。修理でに際しトイレなどの水周りや内装などを当初の姿に復元した。

入り口近くにもう一つ説明板があった。
f0215268_14273322.jpg

橿原市の生んだ一大儒学者、谷三山の説明板である。

建物の中は、今井町の建築の模型や、古い生活用具や、説明のビデオ等がある。
二階への階段
f0215268_1533899.jpg

お手洗いも建築当時のままに修復されており、まるで明治時代の映画のセットみたいだった。
家屋模型
f0215268_14171322.jpg

箱階段
f0215268_157858.jpg

重さを計るはかり
f0215268_1574924.jpg


今井町の概略を知るため橿原市のパンフレットをみてみよう。

◆今井町の歴史・環濠に囲まれた町並み
今井町は戦国の世の天文年間(1532~55)、一向宗の今井兵部が称念寺をひらいたことに始まります。戦国時代末期一向宗門徒は近畿北陸に独自の自治組織を持つ寺内町を建設しました。

戦乱のため、町の周囲に濠や土塁をめぐらせた環濠集落が発展して行きました。織田信長に降伏後は商業の町として発展し、江戸時代は「海の堺、陸の今井」と呼ばれたほど、両替商、肥料商、酒造業さらには、木綿業などにより経済的に栄えたのです。
現在では濠は一部を残すだけですが町割りは昔のままで、道はどれも細く、ところどころにもうけた「食い違いの道」により侵入者をかく乱し、一方、味方が自由に動けるよう住民しか知らない露地を縦横に走らせています。

町は丸ごと重要伝統的建造物群保存地区に指定されており、現在旧環濠内にある古い様式をもつ民家は全体の8割近くをしめ、このうち重要文化財に指定された民家が8軒にものぼります。

今井の建物は、防火構造として、2階の外壁や軒裏を、漆喰で塗り固めています。1階の格子は、今井格子と呼ばれる力強い太い格子で、今西家などでみられ、建物のデザインの特徴となっています。

奈良県橿原市の今井町に残る古い町並みは、中世の環濠集落を発祥とする、称念寺を中心とした寺内町で、江戸時代も自治が行われてきた日本でも極めて珍しい歴史を持つ町です。

◆今井町の町並み(パンフレットより)
称念寺を中心とした寺内町今井は完全な城塞都市で、江戸時代初期の概略を考えると、東西600m、南北300m、周囲には環濠土居を築いた戸数1100軒、人口4000数百人を擁する財力豊かな町であった。町割りは西、南、東、北、新、今の六町に分かれ、9つの門からは木橋を通って濠を渡り、外部の道路と連絡している。内部の道路で見通しのきくものはなく、ほとんどが一度屈折させてある。これは、敵の進入に備えて、その遠見、見通し、弓矢、鉄砲の射通しを不可能にしたものであった。これらは当初、軍事目的のためにつくられたものであるが、江戸時代中頃は富裕な商人の生命、財産などを外部から守るというものに変貌した。
現在も今井町の大半の民家が江戸時代以来の伝統様式を保っており、しかも慶安3年(1650)の今西家をはじめ、すぐれた民家が数多く建ち並び、今なお町全体が戦国時代にできた寺内町の歴史の重さをずっしりと感じさせている。

 戦国時代に高い軍事力を誇った今井町は、環濠で囲まれており、あたかも城塞都市の雰囲気。織田信長に対しては、本願寺とともに抗戦の構えも見せましたが、降伏。今井町ゆかりの茶人、今井宗久らのとりなしもあって町はそのまま残され、現在もその広大な領域に戦国時代、江戸時代からの町並みと道路がそのまま残っています(基本的には16世紀と変わっていないとか)。1993年に重要伝統的建造物群保存地区に指定されました。
 なんと約500棟が昔からの建築であり、重要文化財8棟、県文化財2棟、市文化財4棟があります。
 現在も一般の方々が生活する、生きた町であるのも魅力の1つです。


さて実際の町並みを散策してみよう。

環濠はもう無くなっているが、それを偲ぶことができるように交流センターの横に一部環濠を復元している。
f0215268_1437555.jpg

さらに歩いていくとさ今井小学校
小学校の塀もこんな感じ。随分お金がかかっているだろうな~と感心してしまう。
f0215268_14405852.jpg

河合家住宅
f0215268_1448574.jpg

称念寺
f0215268_14492062.jpg

食い違いの道
f0215268_14511925.jpg

豊田家住宅・屋根の上にけむり出しが見えますね。壁の装飾模様も目をひきます。
f0215268_14535682.jpg

屋根のうえに大黒さん?
f0215268_15112353.jpg

こんな竹細工のお店もありました。交流センターのビデオでこの店の先代さんが竹細工を作っているのを映していました。でも今は百均なんかでも手ごろなのが売ってたりしてもう商売としてはなりたたない、なんておっしゃっていました。
f0215268_16142360.jpg



暖かく天気のよい日で町並み散歩している方に何組もお会いしました。
[PR]
by jumgon | 2011-04-25 15:14 | ★歴史散歩、講演会

近隣の春

暖かいと思ったら寒くなったりするけど、春はたしかに来ています。
はなすおうと雪柳
f0215268_12191486.jpg

はなすおうのアップ
f0215268_12215144.jpg

松葉うんらん・しゃがんで地面に目を向ければ、細い茎の先にちっちゃな紫の花がついてる!
f0215268_1225857.jpg

踊子草、だと思うのですが~姫踊子草らしい、、
f0215268_12282932.jpg

ビンカマジョール・こんなにきれいな花なのにどこかの解説に増えすぎて困るなんて、、、
左巻きにまいた風車みたい、白いふちどりがキレイ!
f0215268_1229453.jpg

一面にひろがる米粒つめくさ
f0215268_16213480.jpg

米粒詰草アップ

f0215268_1652499.jpg

まんさくと黄緑の葉が美しい

よそのおうちの玄関先を無断で撮っちゃいました
f0215268_1236189.jpg

たちかたばみ
f0215268_1623947.jpg

ライラックとあげは蝶
f0215268_12403614.jpg

黄色いオキザリス
f0215268_12425159.jpg

紫に白の縁取りがすてきなパンジー
f0215268_12435682.jpg

小輪のつつじ
f0215268_12455799.jpg

近所の八重桜・ピンクのフリルがかさなってくす玉みたい!!
f0215268_12474075.jpg

あめりかふうろ(葉っぱが印象的です)
f0215268_16253763.jpg

白い花とガーベラ(よそのおうちの玄関さきです)
f0215268_1630975.jpg

小さな青い花がついてます。多分「ローズマリー」だと思う
f0215268_1632374.jpg

[PR]
by jumgon | 2011-04-23 12:49 | ★散歩、自然観察
随分昔に作ったデコパージュ。
あの頃(20年くらい前?)よく作っていた。今見るとあの頃の気持ちがよみがえってきた。
記念にブログにのせておこう。
かなかるた模様のティッシュケース
f0215268_1740578.jpg

天使の箱
f0215268_17413922.jpg

梅と唐草
f0215268_1744277.jpg

夜桜と蝶と三日月
f0215268_1745972.jpg

和模様切り張り
f0215268_17474043.jpg

これは最近作の化粧ポーチ&デジカメケース(いま家にあるはぎれの有効利用を思いついて、やたら作ってます)
f0215268_17502128.jpg

[PR]
by jumgon | 2011-04-20 17:54 | ★日常
八釣マキト5号墳というのがこの資料館の庭に移築されています。
f0215268_119753.jpg

八釣マキト5号墳って、いったいどこにあったの?
説明板を読みましょう。
f0215268_1184191.jpg


八釣・東山古墳群は八釣にある東山丘陵の農業基盤整備に伴い事前調査された古墳群で7基の古墳が発見されました。このうちマキト支群5基で比較的状態の良い1号墳と4号墳が元の場所から100m離れた八釣集落の古墳公園内に移築され5号墳のみ飛鳥資料館の外庭で移築保存されています。

あとで地図をみると山田寺跡からはあるいて近そうです。
この花の奥に見えていますね。
f0215268_11142750.jpg


発掘調査:1999年
★被葬者:中臣氏関連?(近くの大原に大伴夫人墓や藤原鎌足生誕地等、中臣氏ゆかりの史跡がある事より)
★大伴夫人(大徳冠大伴久比子(咋子)卿の女。中臣御食子に娶られ鎌子を産む(尊卑分脉)中臣鎌子(のちの鎌足)の母(尊卑分脉)。『藤氏家伝』には大伴夫人とある。)


飛鳥資料館に追加しておきました。
[PR]
by jumgon | 2011-04-16 11:16 |  ○飛鳥資料館

飛鳥資料館 1

飛鳥資料館は何度か訪れた事がある。

キトラ古墳の「玄武」特別公開の時には見学者が多くて長い行列だった!
公式HPで調べると、2007年5月とある。ちょうど4年前になる。


飛鳥資料館の主な展示物は、
高松塚古墳出土品
キトラ古墳石室復元、
山田寺仏頭レプリカ
f0215268_1222492.jpg
飛鳥寺塔埋納物
牽牛子塚古墳出土品
f0215268_0501394.gif
飛鳥のお寺の復元模型やパネル、発見された瓦などの展示
亀形石造物のレプリカ
 下の写真は現場のものです。
f0215268_0552671.jpg

 全長約2.4m、全幅約2mの大きさがあり、小判形石造物から流れ出た水が、亀の鼻を通り、背中の水槽に水をためる仕組みになっています。

◆山田寺東回廊

山田寺東回廊のポスター
f0215268_101063.jpg

◎こんな実物が資料館内にあるのです!
 下は出土時の写真。
f0215268_1204560.gif


1982年の発掘調査で山田寺東回廊が倒れた状態で地中に埋もれているのが見つかりました。
もっとも状態がよかった柱間3間分の部材を保存処理して当時の建築構造と規模が分かるように再現しています。

以上のように、どれもすごい貴重な財産が収められています。
◎特に私が今回注目したのは
飛鳥寺塔心礎からでた埋納物と山田寺東回廊です。

 飛鳥寺を訪れた時に「塔心礎からでた埋納物」はどこにあるのかと尋ねたところ
「多分、飛鳥資料館あたりでしょう」とお寺の方がおっしゃていた。
その写真を載せたいのですが、残念ながら飛鳥資料館内は写真撮影禁止なのです。

写真はWeb上で取り込める物だけです。

飛鳥寺塔埋納物
f0215268_1213884.gif

塔を建てる際地下に埋納した宝物。金や玉、砥石や鎧まで。同時期の古墳とほぼ同じ内容であるのが注目される。

塔心礎の舎利孔付近から出土した埋納物は、各種の玉類、金環、金銅製打出し金具、金銀延板などのほか、桂甲一領と馬具と見られる青銅製鈴や蛇行条鉄器が確認されています。

さて、資料館の入り口から紹介しよう。
f0215268_0562952.jpg


飛鳥資料館の庭には亀石、猿石、石人像、、酒船石、須弥山石など、飛鳥の石造物の往時の様子をレプリカで展示しています。
f0215268_0581424.jpg

しだれ桜が満開でした!!
f0215268_1103960.jpg
f0215268_112770.jpg

亀石
f0215268_1172997.jpg

須弥山石と石人像
f0215268_144737.jpg

須弥山石とともに発掘されたもので、同様に古代の噴水施設とされています。盃を口にあてた男性に女性が寄り添う形をしています。
※飛鳥資料館で見学できます。(石人像はオリジナルが館内にありました。庭にあるのはレプリカ)
須弥山石(石神遺跡出土)
石人像(当館ロビーに展示)と共に石神から明治時代に掘り出された。全体の型や山型の浮彫があるところから須弥山石(しゅみせんせき)とよばれる。庭園にともなう噴水施設で、周辺から溝や石敷きもみつかっている。斉明朝(655~661年)に、蝦夷や南方の人をもてなしたとき、甘樫丘東方の河原や飛鳥寺西方に造ったという須弥山は、このようなものであった。


八釣マキト5号墳
というのがこの資料館の庭に移築されています。
f0215268_11251888.jpg

八釣マキト5号墳って、いったいどこにあったの?

そばにある説明板を読みましょう。
f0215268_11242837.jpg


八釣・東山古墳群は八釣にある東山丘陵の農業基盤整備に伴い事前調査された古墳群で7基の古墳が発見されました。このうちマキト支群5基で比較的状態の良い1号墳と4号墳が元の場所から100m離れた八釣集落の古墳公園内に移築され5号墳のみ飛鳥資料館の外庭で移築保存されています。

この花の木の奥に見えています。
f0215268_11263397.jpg


発掘調査:1999年
★被葬者:中臣氏関連?(近くの大原に大伴夫人墓や藤原鎌足生誕地等、中臣氏ゆかりの史跡がある事より)
★大伴夫人(大徳冠大伴久比子(咋子)卿の女。中臣御食子に娶られ鎌子を産む(尊卑分脉)中臣鎌子(のちの鎌足)の母(尊卑分脉)。『藤氏家伝』には大伴夫人とある。)

のどかな春の飛鳥資料館でした!
[PR]
by jumgon | 2011-04-14 01:30 |  ○飛鳥資料館
私が山田寺の名前を知ったのはもう何十年も前の話だ。

高校生の頃、興福寺の宝物展か何かを見に行った時に、若々しい、りりしい顔の大きな仏頭に出会った。ほんとうに印象的な仏頭だった。
解説にこれは興福寺のものではなく山田寺のもの、と書いてあった。どこにそのお寺があるかも知らなかったが、名前だけはしっかり覚えていた。

今では、山田寺が、蘇我倉山田石川麻呂(そがのくら(の)やまだのいしかわ(の)まろ)の発願により7世紀半ばに飛鳥の地で建て始められた寺であることは知っていたが、山田寺跡をなかなか訪れる機会がなかった。

先ず、だいたいの位置を確認しよう。

f0215268_2342485.jpg


2011年の桜の季節にやっと気になっていた山田寺跡を訪れた!!
多分、ただの野原だけで、山田寺跡という標識が建っているだけだろう。
でも山田寺があった場所を一度は訪れたいとおもっていた。
車を停めるところはあるかしら?と心配しながら行った。

飛鳥資料館を過ぎると山田寺跡という標識が見える。
「右山田寺跡150メートル」の標識があったので、車を道端において歩いた。
f0215268_23345338.jpg


なんと、山田寺跡には駐車スペースがあった。
6,7台は駐車できそうだ。(無料)

入り口?の近くには珍しい白花タンポポが咲いている。
f0215268_23354659.jpg


すぐ目に付いたのは山田寺跡の立派な説明石碑
f0215268_2338775.jpg


下は金堂跡
f0215268_2339773.jpg


下は東面回廊のあった場所。説明板がある。
f0215268_23395158.jpg


下は東面回廊礎石(復元)
f0215268_23401827.jpg


こんなかわいいスミレも咲いていた。早春の宝石!
f0215268_23404250.jpg


宝蔵跡
ただの野原に見えるけど、四角く段が高くなってますね。
f0215268_2344158.jpg


下は回廊の礎石跡復元
f0215268_23453378.jpg


少しはなれたところには2,3人の人がよもぎ摘みをしていた。
人も少ない早春ののどかな田園。

山田寺の解説をwikiから

山田寺(やまだでら)は、奈良県桜井市山田にあった古代寺院。
蘇我氏の一族である蘇我倉山田石川麻呂(そがのくら(の)やまだのいしかわ(の)まろ)の発願により7世紀半ばに建て始められ、石川麻呂の自害(649年)の後に完成した。中世以降は衰微して、明治時代初期の廃仏毀釈の際に廃寺となった。


創建の経緯
山田寺の創建については『上宮聖徳法王帝説』裏書に詳しく書かれており、山田寺について語る際には必ずと言ってよいほどこの史料が引用される。同裏書によれば、舒明天皇13年(641年)「始平地」とあり、この年に整地工事を始めて、2年後の皇極天皇2年(643年)には金堂の建立が始まる。
◎ということは大化の改新の二年前
大化4年(648年)には「始僧住」(僧が住み始める)とあることから、この頃には伽藍全体の整備は未完成であったが、一応寺院としての体裁は整っていたと見られる。大化5年(649年)には上述の石川麻呂自害事件があり、山田寺の造営は一時中断する。
その後、天智天皇2年(663年)には未建立であった塔の建設工事が始められ、天武天皇5年(676年)に「相輪(仏塔の最上部の柱状の部分)を上げる」とあることから、この年に塔が完成したものと思われる。
天武天皇7年(678年)には「丈六仏像を鋳造」とあり、同天皇14年(685年)にはその丈六仏像が開眼されている(「丈六」は仏像の像高。立像で約4.8m、坐像はその約半分)。なお、この丈六仏像は頭部のみが奈良市・興福寺に現存し、国宝に指定されている。

発掘調査の結果や、出土した古瓦の編年から、以上の創建経緯はおおむね事実と信じられている。なお、『日本書紀』には上述の丈六仏開眼の年である天武天皇14年(685年)、同天皇が浄土寺(山田寺の法号)に行幸したとの記事がある。石川麻呂の死後も山田寺の造営が続けられた背景には、石川麻呂の孫にあたる持統天皇とその夫の天武天皇の後援があったのではないかと推定されている。

f0215268_0194563.gif

◎蘇我倉山田石川麻呂って持統天皇のおじいさんなんですね!
蘇我倉山田石川麻呂
皇極天皇4年(645年)、中大兄皇子が中臣鎌足と共謀して入鹿の誅殺をはかった際に(乙巳の変)、その暗殺の合図となる朝鮮使の上表文を大極殿で読み上げた。その時、暗殺がなかなか実行されなかったため、文を読み上げながら震えて冷や汗をかいたと言われる。そのことを不審に思った入鹿に「何故震えている」と問われたが、石川麻呂は「帝の御前だからです」と答えた。
その後、改新政府において右大臣に任命される。大化5年(649年)、異母弟の日向に石川麻呂が謀反を起こそうとしていると密告されて孝徳天皇により兵が派遣されたため、長男の興志ら妻子と共に山田寺で自害した。なお、この事件は中大兄皇子と中臣鎌足の陰謀であったとされている。

興福寺仏頭
f0215268_0174619.jpg

奈良市・興福寺に所蔵される銅造仏頭(国宝)は、もと山田寺講堂本尊薬師如来像の頭部であった。
『玉葉』(九条兼実の日記)によれば、文治3年(1187年)、興福寺の僧兵が山田寺に押し入り、山田寺講堂本尊の薬師三尊像を強奪して、興福寺東金堂の本尊に据えた。
当時の興福寺は平重衡の兵火(治承4年・1180年)で炎上後、再興の途上であった。この薬師如来像は応永18年(1411年)の東金堂の火災の際に焼け落ち、かろうじて焼け残った頭部だけが、その後新しく造られた本尊像の台座内に格納されていた。この仏頭は昭和12年(1937年)に再発見されるまでその存在が知られていなかった。


◎興福寺の僧が山田寺の本尊を強奪して、興福寺東金堂の本尊に据えたのですって!!
そして東金堂の火災の際に焼け落ち、頭部だけがかろうじて焼け残ったのですって!
それで新しく本尊を造りその台座に頭部だけになった本尊を押し込めたのですか。
記録に残さなかったのですから、邪魔になったから台座の下に押し込めたということですね。

ほんとにあきれた話ですね!


東回廊の出土
f0215268_0333783.gif

山田寺跡は昭和50年(1975年)に国有地化され、以後本格的な発掘調査が実施されている。
発掘調査の成果のうち特筆すべきは、昭和57年(1982年)、東回廊の建物そのものが出土したことである。土砂崩れにより倒壊、埋没した回廊の一部がそのまま土中に遺存していたもので、柱、連子窓などがそのままの形で出土した。腐朽しやすい木造建築の実物がこのような形で土中から検出されるのはきわめてまれなケースであり、日本建築史研究上、貴重な資料である。
出土した回廊はポリエチレングリコールによる科学的保存処置を施し、うち3間分が復原された形で奈良文化財研究所飛鳥資料館に展示されている。


◎山田寺東回廊に使われた木材はくすの木、まきの木だそうです
 
[PR]
by jumgon | 2011-04-12 00:21 | ★歴史散歩、講演会

馬見丘陵公園館

久しぶりの外出だ!
昨日はまるで春のようなうららかな暖かい日。でも残念ながら今日(4月3日)は曇ってるしおまけに冬が戻ってきた寒さ。

一年前にもお花見にいった馬見丘陵公園。
パンフレットより
大和平野のほぼ中央にある馬見丘陵は、わが国でも有数の古墳が集中している地域です。そして、これらの古代の遺跡をつつみこむように、豊かな自然が広がっています。

◆公園内外にある古墳群
池上古墳
乙女山古墳
倉塚古墳
ナガレ山古墳
巣山古墳
狐塚古墳


今日は馬見丘陵公園館をレポートしよう。
古墳に関する展示の他丘陵の自然を紹介している。

●色々な形状の古墳を紹介している壁面
f0215268_0171421.jpg

●巣山古墳断面模型
f0215268_0183589.jpg


翡翠の勾玉
f0215268_0191540.jpg


方格規矩鏡
青銅の鏡で表側は凸面で顔が写るように美しく磨きあげている。
裏面は鈕(つまみ)を中心に正方形に囲った区画(方格)があって周囲にT・L・Vの文様を配置している。この文様のVはコンパス(規)でLとTはL型の曲尺(かねじゃく)とT定規(矩)を表わしている。

f0215268_0282039.jpg


三環鈴
三個の鈴を一つの環でつないだもので、鈴の内部に小石を入れて美しい音が出るようにしている。祭具や装身用に使用した。

f0215268_0404113.jpg

◎かなり大きい。祭具はわかるけど、装身用としては重くないかしら?
鈴の直径:45ミリ
中央の環の内径:25ミリ
中央の環の巾:8ミリ


鋏(はさみ)
和鋏と洋鋏の中間形式で下半分を円形にしてバネをきかせ交差させた刃の先端部分を握って切る仕組み。
握り部分の外面が先端では刃部になる、現在の鋏にみられない特徴をもつ。

f0215268_0304578.jpg

方格規矩鏡・三環鈴・鋏(はさみ)・翡翠の勾玉、これら4点はガラスケースに入って特別扱いの展示だ。
でも出土場所などの説明がかかれていないので尋ねてみた。
「レプリカです。本物は橿原考古学博物館にあります。」

◎え~、以前橿原考古学博物館へ行ったけど、鋏や三環鈴があった記憶がない。
展示物はたくさんあるので気が付かなかったのかしら?
それにしても古墳から鋏がでてきたのは知らなかった。どこの古墳からかしら。奈良県のどこかの古墳?
三環鈴はどこの古墳の副葬品だろうか?
近いうちに橿原考古学博物館へいって確かめよう!


こんな展示物もあった
●古墳時代の衣服の復元品
f0215268_0351749.jpg

●古墳時代の食物
f0215268_0353394.jpg

●古墳時代の副葬品
f0215268_03629.jpg

●家型はにわ
f0215268_0364781.jpg


馬見古墳群については又次ぎの機会に~
[PR]
by jumgon | 2011-04-06 00:43 | ★資料館・博物館