氏の著作は随分以前にのめりこんで読んだ時期があった。
<「邪馬台国」はなかった 解読された倭人伝の謎>
<失われた九州王朝 天皇家以前の古代史>
<盗まれた神話 記・紀の秘密>
<倭人伝を徹底して読む>
などなど、、、、、。
以下広告記事より、
本書なしには、日本の古代史は語れないー
なぜ四十年間も、古田理論は学会から無視されてきたのか
だれもが、中学や高校の教科書で学んだ、聖徳太子の中国に対する対等外交を示す「日出ずる処の天子、日没する処の天子に書を致す、恙無きや」という国書を隋の煬帝に送ったといわれる、日本古代史上の有名な話。
しかし、「隋書」俀国伝には「開皇二十年、俀王あり。姓は阿毎。字は多利思北孤、阿輩雞弥と号す。使を遣わして闕に詣る。、、、、、、、王の妻は雞弥と号す。。後宮に女六,七百人有り。太子を名付けて利歌弥多弗利と為す。」とある。
開皇二十年というのは、推古天皇の年に当るのに、そこに記されていたのは、男帝なのである。なぜ、この真実が古代史研究から消されたままなのか。その真相がこの「古田武彦・古代史コレクション」によって一挙に明らかになる。
私は氏の著作を読み、なぜ日本のアカデミックな学界がそれに反論することなく無視し続けてきたのか不思議でしようがない。これだけ、膨大な文献研究の結果を、なぜ無視するのか?反論して論破する自信がなかったのか?、、、、、、
わたしも氏の「中国文献絶対信頼」にたいして疑問を感じた部分はある。ずっと日本の後世の時代を記した部分に、天皇周辺の親族関係が誤って記載されていたように記憶する。(ハッキリと、この部分と指摘するには記憶が曖昧で説得力に欠けるが、、、、室町時代だったか、江戸時代だったか?これももう一度調べなければ、、、、)
それぐらい後世でさえ、中国文献の記事に誤りが見つかるのに、ましてや飛鳥時代の記録が絶対信頼できるものとは思えない。
だが、氏の著作に驚き、迫力のある研究に夢中になったものだ。
もう一度しっかりと読み直したい、、、と思う。興味のある方は、古田武彦で検索したら色んなサイトがでてくるから、見てくださいね!!
それから氏が親鸞、浄土真宗教団に関することに言及した文が
http://hukohitomi.exblog.jp/
に投稿されている。参考までに、、、、。