⑤そして日本人がうまれた
縄文人は、四角く立体的な顔で、小柄ながら筋肉質の身体つきをしていました。
およそ2300年前に中国や朝鮮半島から渡来してきた弥生人は、長く平坦な顔で、大柄な身体つきをしていました。
彼ら渡来系弥生人は、九州北部から日本列島各地に広がり、縄文人と混血しつつ、本土人の主体を形成しました。彼らと共に渡来した文化は、在来の縄文文化と融合して、弥生文化を生み出しました。
水田稲作技術は、食生活だけでなく、日本人の意識をも変えていくことになります。
渡来系弥生人の影響が少なかった北海道と沖縄では、それぞれアイヌと琉球人が縄文人の姿形を色濃く残しながら、独自の文化を築いていきます。その結果、いま、日本列島には、アイヌ・本土人・琉球人という三つの民族集団が住んでいるのです。(後に述べますが、今では別の見解が現れています。)
○縄文人の姿
日本列島では、4~3万年前の後期旧石器時代には人間が住み始めていたことは確実です。しかし、その時代の日本列島全体にどんな人々が住んでいたのかは、まだ良くわかっていません。わたしたちの祖先の姿をはっきりと見ることができるのは、縄文時代からです。
○縄文人の顔
◎頭蓋骨を見ても私たちには顔を想像できないからイラストを借りてきました。
でもイラストは思い込みを作ってしまう危険性もありますね!
(縄文人復元胸像・3500年前・若海貝塚出土人骨に基づく・国立科学博物館蔵)
○あらたな民族の侵入:渡来系弥生人
およそ2300年前、西日本には、縄文人とはまったく異なった顔だちや身体つきの人々が現れました。渡来系弥生人とよばれる人々です。
彼らによって、水田稲作の技術と金属器の文化が大陸から伝えられ、人々の生活は大きく変化していきました。
○渡来系弥生人の姿
渡来してきたと考えられる弥生人の骨が最初に見つかったのは、山口県の日本海に面する土井ヶ浜遺跡です。
彼らの人骨は、これまで発見されていた縄文人の人骨とはまったく違っていました。
(弥生人復元胸像・1世紀・土井ヶ浜遺跡出土人骨に基づく・国立科学博物館蔵)
渡来系弥生人イラスト・(イラスト 石井 礼子)
○渡来系弥生人の故郷を中国に求めて
渡来系弥生人によく似た頭骨が発見されている中国の遺跡
渡来系弥生人は大陸のどこからやって来たのでしょうか。
最近の調査により、水稲耕作の発祥の地ともいわれている中国南部が有力視されています。黄河下流と長江下流に挟まれた地域の漢代の遺跡から、渡来系弥生人によく似た人骨があいついで見つかっています。
この時代の中国は、政治的に動乱の時代であり、いろいろな民族が入り乱れて戦いました。日本にやって来た渡来民は、このような動乱から逃れてきた人々だったのでしょうか。
○弥生人の生活
紀元前4~5世紀ごろ、九州、四国、本州で水田稲作が始まりました。しかし、南西諸島や北海道は食料採取に依存していました。稲米は、粒が大きく収穫量は多く、保存もよかったのです。
ブタの飼育も始まりました。鉄器は実用品として、青銅器は祭り用として発達しました。
土地と水、富をめぐって戦いが始まり、交通路の掌握や朝鮮・中国との外交権をめぐる戦争へと発展していきました。こうして、集団内にも集団間にも、支配・従属の関係が次第に作られていったのです。
○アイヌ・本土人・琉球人
日本列島に住んでいる私たちは、単一民族ではないことは明らかです。
アイヌ、本土人、琉球人 は、それぞれ長年にわたって独自の誇り高い文化を築き上げてきました。
しかし、祖先をたどれば、お互いに無関係ではないことがわかります。日本列島に広く分布した縄文人と、現在の私たちとは、どのような関係にあるのでしょうか。
○古墳時代以降の日本人
大陸からの渡来民の流入は、古墳時代の終わりの7世紀頃まで続きました。この間、大陸からの新しい文化や技術を持ち込んだ渡来民は、本州を東に進んで近畿地方に進出し、大和朝廷を築き、さらに関東、東北へと、先住の縄文系の人々と混血しながら進出していったようです。
このような混血により古墳時代の末には、渡来民が主体となって現代の本土人の原型がほぼできあがったと考えられています。一方、北海道と沖縄地域では、縄文系の人々が主体となって、それぞれ現代のアイヌと琉球人になっていったと考えられています。
○日本人の二重構造
日本人の顔をみると、平坦でのっぺりした顔や立体的で目鼻立ちがはっきりしている顔など変化に富んでいます。
しかも、地域によって、傾向が違っています。これは、縄文系の人々をベ-スに、渡来系の人々が地域によってさまざまな程度に混じり合うことによって、日本人が成立したためと考えられています。
西日本の人々は渡来民の遺伝子を多く受け継いでおり、東日本の人々では縄文人の遺伝子がやや多くなっていることが、骨の形態から推定されています。
縄文系と渡来系の人々の体の違い
身体特徴 縄文系の人々 渡来系の人々
顔形 四角/長方形 丸/楕円
造作の線構成 直線 曲線
プロフィル 凹凸 なめらか立体的
彫りの深さ 立体的 平坦
眉 太い/濃い/直線 細い/薄い/半円
ヒゲ 濃い/多い 薄い/少ない
まぶた 二重 一重
頬骨 小さい 大きい
耳たぶ 大きい/福耳 小さい/貧乏耳
耳アカ 湿る/飴耳 乾く/粉耳
鼻 広い/高い 狭い/低い
唇 厚い 薄い
歯 小さい 大きい
口元 引き締まる 出っ張り気味
四肢の末端 長い 短い
体毛 多い 少ない
◎自分は縄文系か弥生系かみてみたが、どちらも混じっている。
○分子レベルでみた日本人のルーツ
日本人の起源については、最近著しく発達したDNA(遺伝子を構成する細胞内の物質)解析による研究もたくさんあります
。日本列島には、人々の移住によって、いろいろな遺伝子が外から入ってきたようで、それぞれ違った傾向を示しています。その結果、さまざまな解釈が生まれていますが、たとえば、
①日本人の祖先集団は決して1つや2つではなかったという考え方
②琉球人は本土日本人や韓国人と似ているがアイヌとは似ていないという考え
③アイヌと琉球人は共に縄文人の子孫なので類似していて、その起源は中央アジアだろうという考え方などがあります。
今まで」私が参照してきたのは
「私たちはどこから来たのか」~日本列島人の起源に迫る~というテレビ番組をまとめたものです。(2001年)
それに関する論評を加えられている伊藤氏のHPを紹介します。
NHKハイビジョン特集を論評する
http://www.geocities.jp/ikoh12/kennkyuuno_to/014_1NHK_hi-vision_tokusyuu_2010-06-13.html
興味のある方はご覧ください。このブログではあまりに専門的で煩雑になるので引用はさけました。
その中から
一つだけ興味深くわかりやすい記事があったので紹介します。
「新しい見解が出てくる背景には、新しい発見や研究があったことは言うまでもない。 NHK特集が提示しているのは次のようなものである。」
「港川人は縄文人の祖先ではなかった」(2010年6月)
「海部陽介氏の研究の結果から湊川縄文人の想像図がのせられている。」
◎オーストラリア先住民・アボリジニなどに似ていますね。
○縄文人流入の3ルート
馬場は、縄文人について次のようにまとめる。
「これまで言われていたように、1つのルートからやってきた人が均一の縄文人を形成した、という話からはずいぶん変わってきた。たとえば、mtDNAの解析によって縄文人が多様なことが非常にはっきりしてきた。」
◎ナルホド~この地図では縄文人は違う年代に三ヶ所から流入してきたことになっている。
◎これからもわかるように、今回わたしがお勉強した日本人の起源に関しても学問が進むに連れて書き直されていくものがあると思う。
これまでまとめてきたものは、現時点でのおおまかな考え、ということになるのでしょうか?