古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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タグ:資料館 ( 5 ) タグの人気記事

新沢千塚古墳群と千塚資料館
http://www.nantokanko.jp/mytown2008125.htmlより
概略を確認しておこう。


〒634-0826  【橿原市千塚資料館】橿原市川西町858-1
問い合わせ先      TEL 橿原市千塚資料館 0744-27-9681
休      日      【新沢千塚古墳群】 無休
【橿原市千塚資料館】月曜日(祝日の場合は翌日)
料      金    【 新沢千塚古墳群】無料
              【橿原市千塚資料館】大人100円、中学生~大学生70円、小学生50円
見      学     【新沢千塚古墳群】自由
【橿原市千塚資料館】  9:00~17:00(入館は16:30まで)
交通(マイカー)南阪奈道路葛城ICから国道165号経由、約6km、約12分
交通(公共交通機関)近鉄橿原神宮前駅から近鉄御所駅行きバスで約12分、川西下車すぐ
駐  車  場      【新沢千塚古墳群】無し
【橿原市千塚資料館】  有り/無料

発掘調査は、1947年(昭和22年)以来、1962年(昭和37年)からの本格的な調査までに数度実施されている。この地域は昭和30年代に農林省の計画が実施されることの事前調査として、1962年(昭和37年)から5カ年計画で実施された。
その結果、古墳時代の新たな研究課題が提起され、保存へと繋がった。その後史跡にも指定され、市や県の計画の事前調査が実施された。1962年(昭和37年)の調査で、粘土槨を内部主体とする前方後円墳である500号を含む23基の古墳が発掘された。500号墳から古墳時代前期に類する副葬品が検出され、その中に懸垂鏡といわれる珍しい銅鏡が含まれていた。
1960年代に同志社大学などにより調査が行われ、約130基が調査された。武具、馬具をはじめとして副葬品は豊富に出土したが、5世紀後半の126号墳からは、大量の装飾品とともに、日本史上初の火熨斗(ひのし)、の出土や、中国を経由せず西域から新羅経由でもたらされたと見られる希少なローマンガラス製品の出土があり、古代日本の交易範囲の広さを立証する遺跡として報道され、当時全国的に大きな話題となった。

126号墳の出土品は東京国立博物館に所蔵されており、一括して国の重要文化財に指定されている。
資料館にはそれらの出土品のレプリカが展示されています。

さて、そろそろ千塚資料館のなかを見てみましょう。

目をひく物はたくさんあります。
【126号墳の出土品】
◆金製歩揺
とてもきれいなスパンコール
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◆金製方形冠飾・垂飾つき耳飾り
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◆金製螺旋状髪飾り
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◆金堂製帯金具
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◆銀製指輪
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◆金製指輪の写真(横から・上から)
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◆棺に納められた様子をあらわしたイラスト
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◎多分女性だったのでは、、、。でも古代人は男性でもアクセサリーをつけてますけど~
◆火熨斗(ひのし)とガラス皿・ガラス碗
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◎火熨斗は柏原市「高井田横穴群」からも1点出土しています。今のところ日本では2点しか出土していません。この被葬者はかなりの身分の人だったのでしょうね!
◆ガラス製品が運ばれたルートの地図
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◆鉄刀
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◆出土した位置どおりに並べられた様子
この写真は
http://inoues.net/ruins/niizawasenduka_museum.htmlよりお借りしてきました
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【115号墳】
◆115号墳説明板
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直径18mほどの円墳で、築造された時は周りに円筒埴輪が巡らせてあった。その中央に箱形の木棺が直接埋葬されていて、発掘調査で衝角付冑(しょうかくつきかぶと)と三角板鋲留短甲(さんかくいたびょうどめたんこう)が一式見つかった。さらに五鈴鏡や二神三獣鏡、鉄鏃(てつぞく)なども出土したという。おそらく武人的性格の族長を埋葬した墓であろう。

◆115号墳から出土した衝角付冑、三角板鋲留短甲、頸甲、肩甲
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三角板鋲留短甲、頸甲、肩甲(*1)
◆115号墳から出土した五鈴鏡と二神三獣鏡
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【南山4号墳出土鉄製品】
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◎雁股鏃 とは
雁 かり 股 また 鏃 ぞく :鉄でできていて、先端が二股に分かれているやじり です 。
◎ここからも鉄ていが出土している!!

【156号墳を再現した展示】
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まだまだ橿原市出土のお宝はいっぱいあるけれど今日は新沢千塚に絞ってアップしました。
それにしてもスゴイきらびやかな出土品ですね!!
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by jumgon | 2011-05-07 15:55 | ★新沢千塚古墳群と千塚資料館

新沢千塚古墳 1

以前から気になっていた新沢千塚を訪れた。

群集墳で貴重な出土品があるらしい。

今までいった群集墳といえば、高井田横穴群(大阪府柏原市)、近つ飛鳥資料館のある、「一須賀古墳群」も群集墳である。
ここはどんなところだろう。時代は?出土品は?

古墳群の近くに橿原市千塚資料館があって、車をとめられる。
そこから案内地図に従ってあるいていく。

この道でいいのだろうか?
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新緑の道
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やがて人を誘うようなかいだんが~
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階段を登りなさいといってるみたい。
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ここはかなり広い。
あっ、古墳らしい丸い丘
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新緑が美しい!!
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新緑の気持ちのいい散歩道
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こんなのがいくつもある!!

346基もあるそうだ。

やがて畝傍山が見える場所にでた
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この古墳群で最もよく知られるのが126号墳だ。
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5世紀後半に造られた東西約22m、南北約16m、高さ約1.5mの長方形墳で、赤色顔料も残る割竹形木棺(わりたけがたもっかん)が発掘された。
木棺の外部からは、鉄刀、四神が描かれた漆盤(しつばん)などが、内部からはガラス製の碗、垂飾つき耳飾り、腕輪などが出土、そのいくつかは国の重要文化財にもなっている。
特にガラス碗は、ササン朝ペルシャのものと考えられており、シルクロードのつながりを感じさせるもの。このことから新沢千塚古墳群は“地下の正倉院”とも呼ばれている。

ここの古墳は全部埋め戻され開口部は無い。
みんな低いなだらかな丘になっている。

115号墳の解説板
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◎ふーん、こんな珍しい五鈴鏡が出土したのか、、、

千塚古墳群は発掘調査は終えこの古墳の出土品は千塚資料館で展示されている。

◆新沢千塚古墳群は
4世紀末から7世紀にかけて造営され、特に5世紀半ばから6世紀末まで盛んに墳墓が作られた。かつては川西(かわにし)千塚、または鳥屋(とりや)千塚と呼ばれていた。この古墳群の氏族ないし埋葬者は特定されておらず、大伴氏、漢氏(あやし)、蘇我氏など諸説ある。

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by jumgon | 2011-05-06 21:26 | ★新沢千塚古墳群と千塚資料館

飛鳥資料館 1

飛鳥資料館は何度か訪れた事がある。

キトラ古墳の「玄武」特別公開の時には見学者が多くて長い行列だった!
公式HPで調べると、2007年5月とある。ちょうど4年前になる。


飛鳥資料館の主な展示物は、
高松塚古墳出土品
キトラ古墳石室復元、
山田寺仏頭レプリカ
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飛鳥寺塔埋納物
牽牛子塚古墳出土品
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飛鳥のお寺の復元模型やパネル、発見された瓦などの展示
亀形石造物のレプリカ
 下の写真は現場のものです。
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 全長約2.4m、全幅約2mの大きさがあり、小判形石造物から流れ出た水が、亀の鼻を通り、背中の水槽に水をためる仕組みになっています。

◆山田寺東回廊

山田寺東回廊のポスター
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◎こんな実物が資料館内にあるのです!
 下は出土時の写真。
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1982年の発掘調査で山田寺東回廊が倒れた状態で地中に埋もれているのが見つかりました。
もっとも状態がよかった柱間3間分の部材を保存処理して当時の建築構造と規模が分かるように再現しています。

以上のように、どれもすごい貴重な財産が収められています。
◎特に私が今回注目したのは
飛鳥寺塔心礎からでた埋納物と山田寺東回廊です。

 飛鳥寺を訪れた時に「塔心礎からでた埋納物」はどこにあるのかと尋ねたところ
「多分、飛鳥資料館あたりでしょう」とお寺の方がおっしゃていた。
その写真を載せたいのですが、残念ながら飛鳥資料館内は写真撮影禁止なのです。

写真はWeb上で取り込める物だけです。

飛鳥寺塔埋納物
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塔を建てる際地下に埋納した宝物。金や玉、砥石や鎧まで。同時期の古墳とほぼ同じ内容であるのが注目される。

塔心礎の舎利孔付近から出土した埋納物は、各種の玉類、金環、金銅製打出し金具、金銀延板などのほか、桂甲一領と馬具と見られる青銅製鈴や蛇行条鉄器が確認されています。

さて、資料館の入り口から紹介しよう。
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飛鳥資料館の庭には亀石、猿石、石人像、、酒船石、須弥山石など、飛鳥の石造物の往時の様子をレプリカで展示しています。
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しだれ桜が満開でした!!
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亀石
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須弥山石と石人像
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須弥山石とともに発掘されたもので、同様に古代の噴水施設とされています。盃を口にあてた男性に女性が寄り添う形をしています。
※飛鳥資料館で見学できます。(石人像はオリジナルが館内にありました。庭にあるのはレプリカ)
須弥山石(石神遺跡出土)
石人像(当館ロビーに展示)と共に石神から明治時代に掘り出された。全体の型や山型の浮彫があるところから須弥山石(しゅみせんせき)とよばれる。庭園にともなう噴水施設で、周辺から溝や石敷きもみつかっている。斉明朝(655~661年)に、蝦夷や南方の人をもてなしたとき、甘樫丘東方の河原や飛鳥寺西方に造ったという須弥山は、このようなものであった。


八釣マキト5号墳
というのがこの資料館の庭に移築されています。
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八釣マキト5号墳って、いったいどこにあったの?

そばにある説明板を読みましょう。
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八釣・東山古墳群は八釣にある東山丘陵の農業基盤整備に伴い事前調査された古墳群で7基の古墳が発見されました。このうちマキト支群5基で比較的状態の良い1号墳と4号墳が元の場所から100m離れた八釣集落の古墳公園内に移築され5号墳のみ飛鳥資料館の外庭で移築保存されています。

この花の木の奥に見えています。
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発掘調査:1999年
★被葬者:中臣氏関連?(近くの大原に大伴夫人墓や藤原鎌足生誕地等、中臣氏ゆかりの史跡がある事より)
★大伴夫人(大徳冠大伴久比子(咋子)卿の女。中臣御食子に娶られ鎌子を産む(尊卑分脉)中臣鎌子(のちの鎌足)の母(尊卑分脉)。『藤氏家伝』には大伴夫人とある。)

のどかな春の飛鳥資料館でした!
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by jumgon | 2011-04-14 01:30 |  ○飛鳥資料館
藤ノ木古墳と斑鳩文化財センター

いつごろだったか法隆寺を訪れた時、藤ノ木古墳を見にいったが、
その頃は草のはえた小山で周りが簡単な柵をしているだけだった。
(現在では整備されていて、年に2回、石室公開の日がある。)
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「えっ、これがあの豪華な出土品を出した有名な藤ノ木古墳?」と思った。

平成22年3月「平城京遷都1300年祭」にあわせて?
斑鳩文化財センターが平成22年3月にオープンした。

藤ノ木古墳の出土品の解説・レプリカ展示をしている。(出土品の本物は橿原考古学研究所にある。)

今日はもう遅いので古墳の方は次の機会にする。
センターは藤ノ木古墳のすぐ近くにある。

駐車場無料
入館料無料
おまけに、ボランティアの人や、学芸員さんが解説してくれて、質問にも答えてくれる。
(斑鳩町の税金で運営されてるのだろうか?有難うございます!) 

入り口にはレプリカの石棺が置かれている。
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入館すると、今丁度説明のビデオが始まったところです。時間があればごらん下さい、とのこと。
このビデオで発掘の時の細かい様子や苦労が推察された。
発掘品のUPもあり、模様などもよくわかった。

資料室への通路は古墳の羨道から石室に至る道を模してある。(立体ではないが)
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上下左右のパネルには発掘時に発見された位置をそのまま再現した、須恵器・土器などが描かれている。
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そしてつきあたりには石室を映したパネル
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手前に須恵器の壷がみえますね。
発掘時を彷彿させる演出です。
石棺の奥に馬具類があったそうだ。

資料室はここから左に入る。

石棺のレプリカがある。
(発掘当時の雰囲気を表わしていて、適当に朱色がはげている。)石棺内部には発掘当時そのままを再現した副葬品が入れてある。本当に臨場感あふれる展示だ。
沓や刀、それに人骨。
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せっかく学芸員さんがいるので以前から気になっていたことを質問した。
「石棺の朱は辰砂だけを塗布したものですか?それとも接着剤みたいなものを使ってますか?」
そこまでは分からないとのこと。
だけど、朱のはげた部分を修復するときにニカワで溶いて塗布したが、ニカワにカビがはえて剥落したそうだ。・・・・・
◎じゃニカワではなさそうだ。
 私は卵と辰砂を混ぜたのではないかと考えている。(弥生時代から鶏はいる!)
 西洋には卵と顔料を混ぜて描いたテンペラ画がある。
テンペラ画
代表的なテンペラ技法が卵テンペラである。絵具が乾けばすぐに塗り重ねていくことができ、数日間乾燥すると水に溶けなくなる。
油絵より色の黄変、暗変を示さないという。
 でもこれもカビがはえるかな~ 

石棺の忠実なレプリカを見ると、水が流れたあとみたいな朱の剥げ方をしている。

国指定史跡・藤ノ木古墳
(くにしていしせき ふじのきこふん)


 藤ノ木古墳は、奈良県生駒郡斑鳩町法隆寺西2丁目に所在する、直径約48m・高さ約9mの円墳(えんぷん)で、昭和60年〈第1次〉と昭和63年〈第2・3次〉に3回の発掘調査を実施しています。
古墳のつくられた時期については、古墳時代後期の6世紀後半と考えられています。
(◎聖徳太子が斑鳩の宮を造営する直前に作られた墳墓だということです)
 
内部の構造は、南東方向に開口(かいこう)する全長13.95m、玄室(げんしつ)幅2.67m、玄室高さ4.41mの両袖式(りょうそでしき)の横穴(よこあな)式石室で、その玄室の奥壁の近く、横向きに全体を朱(しゅ)で塗られた凝灰岩(ぎょうかいがん)の刳抜式家形石棺(くりぬきしきいえがたせっかん)が置かれていました。
 石室内からは鎧(よろい)や鉄鏃(てつぞく)などの武器・武具(ぶぐ)、金銅装(こんどうそう)の馬具、土師器(はじき)・須恵器(すえき)などの土器類が出土しました。
なかでも装飾性豊かな馬具類は、鞍金具(くらかなぐ)にパルメット、鳳凰(ほうおう)、象(ぞう)、鬼面(きめん)などの姿の透(すかし)彫りをほどこした、類例のないみごとなものです。
◎パルメットpalmette 植物性文様の一つ。
 2本に分かれた渦巻きの分岐点を中心に
 扇形に開いた形を言う


さて出土品の数々を文化財センター「インターネット講座」から
金銅製冠
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金銅製沓
(沓についている瓔には魚の形もありました。一須賀古墳からも同じような沓が出土しています。)
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鞍金具
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鞍金具の透かし模様のUP(象の模様がみえますね)
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鞍金具の透かし模様のUP(鳳凰の模様)
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棘葉形杏葉
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棺内は未盗掘(みとうくつ)で埋葬当時の姿がほぼそのまま残っていました。
被葬者(ひそうしゃ)は2人で、
北側に・・・17~25歳の男性、身長165cm。がっしりした体格で、歯の磨耗は少ない。
南側には・・・年齢を特定できないのですが、男性の可能性が高いといわれています。
*二人の被葬者は現在でも定説はない。

 石棺内の副葬品(ふくそうひん)は豊富で、各種の金属製の玉(たま)類や1万数千点を超えるガラス玉などの装身具(そうしんぐ)、冠・履(くつ)・大帯(おおおび)などの金属製品、四面の銅鏡(どうきょう)、玉纏大刀(たままきのたち)、剣(けん)などがそえられていました。またその他に遺体を覆っていたと思われる繊維製品も多量に残っていました。
 藤ノ木古墳は、このように6世紀後半の埋葬儀礼(ぎれい)を解明するうえにおいて貴重な資料を提供したばかりでなく、当時の文化の国際性をも示すきわめて重要な古墳といえるでしょう。


 第5次発掘調査を行なった斑鳩町教育委員会は、2003年11月、この古墳は直径50mを超える円墳であることを確認した。大型横穴石室を持つ円墳としては、牧野古墳(広陵町)や塚穴山古墳(天理市)に次ぐ大規模な古墳であるという。
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by jumgon | 2010-12-09 15:14 |  ○藤の木古墳資料館
大和川と石川が合流する地点を少し奈良の方に進むと、弥生時代の史跡高井田横穴群がある。
30年位前からその存在は知っていたが、当時は写真でみると、山の中の木や笹などの間から穴があちこち見える、といった感じで、一人で行くのはちょっと恐い感じであった。
現在は、「史跡高井田横穴公園」となってそばには「柏原市立歴史資料館」が出来ていて、柏原市の歴史がわかるようになっている。
前回アップした、「大和川付け替え」についての資料も展示されている。


奈良方面から亀瀬峡谷を通り抜けてようやく河内平野へ流れ出た大和川は、石川と合流する手前で大きく北へ蛇行する。
その蛇行地点に近い北岸は、生駒山系の南端にあたる。鬱蒼と樹木が生い茂った丘陵が河岸近くまで張り出してきている。樹木を育てている土の表層を一枚まくれば、その下には凝灰岩(ぎょうかいがん)が横たわっている。
今から1000万年以上も前に、二上山の噴火で降り注いだ火山灰が固まってできた岩盤だ。
凝灰岩は柔らかい。掘るのが簡単で、加工もしやすい。そうした性質を利用して、この地域に盤踞した古代氏族は、丘陵の斜面に多くの横穴を穿ち集団墓地を築いた。6世紀の中頃から7世紀の初めころのことで、ちょうど聖徳太子が生きた時代にあたる。

横穴をめぐる遊歩道
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史跡高井田横穴は、総数200基以上と推定される大規模な横穴群です。
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横穴は、6世紀中頃から7世紀前半にかけて造られたお墓で、二上山の火山灰が積もってできた凝灰岩と呼ばれる岩盤に洞窟のような穴を掘り、 死者をほうむったものです。横穴からは、土器や武器、装身具などが発見されています。 また、人物、鳥、馬など様々な線刻壁画が描かれた横穴もあり、貴重な文化財です。


現在までに確認されている横穴墓の数は162基、実際には200基以上はあると推測されているという。
この史跡を有名にしているのは、横穴墓が密集していることもさることながら、線刻壁画が描かれた古墳が27基も存在することだ。

壁画に描かれているのは、人物、馬、船、家、鳥、蓮の花、木、葉、意味不明の記号とさまざまである。何を描いたのか理解できない線刻も多数あるという。
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27基の横穴墓の中でもっとも有名なのは、第3支群5号墳だろう。玄室(げんしつ)から入口を見た場合の羡道(せんどう)の右側にあたる壁に、よく知られた複数の人物が描かれている。
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一番上には、両端が反り上がったゴンドラ型の「船に乗る人物」が描かれている。この人物は、左手に槍あるいは旗と思える棒状のものをもって船の上に立ち、丈の長い上衣を幅広の帯でしめ、幅の広いズボンも膝の部分で縛っている。
船の両端には二人の小さな人物が描かれていて、右側の人物は碇(いかり)を引き上げ、左側の人物はオールを漕いでいるようだ。

その左には「正装の人物」が描かれている。船に乗る男と同じ服装をしているが、先のとがった靴を履き、耳の横で頭髪を束ねた美豆良(みずら)という髪型をしている。
その下の人物は「袖を振る女性」で裳(も)と呼ばれるひだのあるスカートをはいている。船に乗る男を出迎えるように、あるいは見送るように、盛んに両手を振っている。

高井田山古墳
高井田横穴公園整備事業の作業中に高井田山の頂上で見つかった古墳で、5世紀後半から5世紀末にかけて築造された直径22mの円墳である。
埋葬の主体部は内部に薄い板石を積み上げた初期横穴式石室だった。近畿地方では最も古い横穴式石室とのことだ。副葬品の中に、古代のアイロンと言われる青銅製の火熨斗(ひのし)があった。火皿に炭火を入れて使われたと見られており、日本で2例目の出土品である。

ここを調査した柏原市立歴史資料館の桑野一幸さんの話によれば、「ここで見つかった横穴式石室は、出土した須恵器から判断すると、5世紀末のもの。しかも、百済の影響を直接受けている。つまり、最古級の畿内型横穴式石室なんです。」と言う。
桑野さんによれば、畿内の横穴式石室には2種類あって、朝鮮半島からいったん九州を経て伝わったもの(5世紀半ばころから)と、直接畿内へ来たもの(6世紀頃から)とに分けられると言う。
百済との関係を裏付けるのは、石室の形態と副葬品である。
石室を上から見た形は九州のものと違って「韓国のソウルに、可楽洞、芳夷洞という百済の古墳がありますが、ここの横穴式石室と似ています。」という事になる。(よく判別できないけれど、、、)
また、資料館に行けば見れる古代のアイロン、火熨斗(ひのし)の出土は、国内では2例目であるが、中国・朝鮮では多く出土している。
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百済の武寧王陵では、王妃(526年没)の副葬品として出土している。高井田山古墳でも、玄室には副葬品から見て二人埋葬されていた可能性が高く、火熨斗が出た方の棺からは中国産の鏡も見つかっている事から、こちらも女性の可能性が高い。
その他に、純金製やガラス玉製の耳飾り、剣、槍、矛などの武器類や甲冑(かっちゅう)、および神人龍虎画像鏡と呼ばれる銅鏡などが出土した。
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by jumgon | 2010-11-18 21:45 | ★高井田甌穴群(柏原市)と歴史資