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古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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誉田八幡宮と応神天皇陵 ②

「応神天皇陵」

恵我藻伏崗陵
現在の地名・・・・・大阪府羽曳野市誉田

とにかく大きい。遠くからでもかなり長い間目につく大きさだ。
まわりを一周りしよう。すぐ傍を通れる場所もあるが、高速道路のガード下ちかくを通ったり古墳を背に民家がたってたりして、必ずしもよい散歩道とはいえない。もう少し整備して遊歩道を作ってくれたら、、、、何て思うけれどしかたがない。だが最近では古墳にホタルが出てくるという。
人が入れない大きな森だから自然が守られているんだろう。

近くには小室山古墳、大鳥山古墳、仲津媛命陵(応神天皇の后)がある。

空から見た応神天皇陵

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応神天皇陵の掲示板
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「ここより中にはいれませんとある。だから天皇陵ってイヤなんだ。看板だけ見に来たんじゃないよ。横の道を回ると宮内庁の管理事務がある。まだちょっと先まではいれそうだ。
あった!やっと正面へでた
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誉田御廟山古墳(応神陵)は墳丘長425mで、堺市の大仙古墳(仁徳陵)に次ぐ全国第2位の墳丘長を測ります。また、古墳の表面積や体積では大仙古墳を上回り全国一の巨大古墳です。 
前方部を北北西に向け、墳丘は三段築成で、くびれ部両側に方壇状の造出しを備え、濠と堤を二重にめぐらせています。墳丘や内・外堤の斜面には葺石が施され、円筒埴輪が確認されています。
 埴輪はすべて窖窯で焼成された製品です。円筒埴輪は基部の径が40cm前後の大型品が多く、形象埴輪には家・蓋・靱・水鳥・馬形等があり、蓋形木製品や各種魚形土製品も出土しています。
 築造年代は、埴輪の特徴から5世紀前半代に比定されます。なお、後円部南側に現存する誉田八幡宮の境内には長持形石棺や石槨の一部と推測される石材が残されており、本墳から出土したものと考えられ、内部の様子をうかがうことができる重要な資料です。

近くにある小室山
前方後円墳。内部構造や副葬品について詳細は不明です。
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これも近くにある大鳥塚古墳
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仲津山(仲津媛陵

皇后:仲姫命(なかつひめのみこと、中日売命) - 品陀真若王女 、とウィキペディアにあるが、古事記のどこにそんな記事あったかな?日本書紀に書いてあるのかな?またじっくり読まなければ、、、

国府台地の最高所に築造された墳丘長290mの前方後円墳で、古市古墳群内では誉田御廟山古墳(応神陵)に次ぐ墳丘長を測り、全国でも8、9番目の大きさを誇ります。
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すこし離れますが蕃所山(径、22M)という小さな円墳があります。
蕃所山古墳は、応神天皇陵を作るときモッコを置いたところと言われモッコ塚とも呼ばれています。

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by jumgon | 2010-09-09 21:30 |  ○誉田八幡宮と応神天皇陵