子持ち勾玉
2010年 10月 01日
子持ち勾玉はなぜ作られたの?
子持ち勾玉は滑石製が多い。滑石(ろうせき)は柔らかいので加工がしやすいから
材料に選ばれたのだと思います。
(石の硬さは10段階に分けられ、滑石は硬度1、ダイヤモンドは硬度10です。)
下は田原本町出土の子持ち勾玉(長さ 6,6cm)
○子持ち勾玉のあちこちの説明ではだいたい同じような説明をしています。
千葉県市原市の埋蔵文化財調査センターのサイトに次のように書いてある。
滑石をを削り、大型の勾玉に子供勾玉を刻出したものをいいます。
普通のシンプルな勾玉は古墳などの副葬品に多く、葬られた人々の装飾品であったと言えますが、子持勾玉はむしろ石製模造品などといっしょに祭祀遺跡から出土することから、祭りのための用途が考えられています。
昨日テレビで胎児の受精から数週間の映像が放映されていました。
「胎児」は受精した時から生物の何億年もの歴史ををおなかの中で再現する、という話は知っていましたが、
リアルな映像を見ると納得すると共に、「この姿って、子持ち勾玉に似てる!!」と思いました。
「絶対に子持ち勾玉は胎児を模したものだ」としか思えません。
上は <高橋恵美子(女医)さんが作った胎児模型>
でも、古代人って、胎児をみることがあったんだろうか?まさか今みたいに超音波映像なんかなかっただろう。偶然の流産?とかで見る機会があったんだろうか?それとも妊娠中に亡くなった人のおなかの中を見たんだろうか?(こんなこと考えるとコワクなる!) 他の生物の胎児映像もあったけど人間の胎児とあまりらなかったから、例えばイノシシとか鹿を食べる為にさばいた時にみたんだろうか?
タイミングよく、羽曳野市の陵南の森公民館に子持ち勾玉を展示しているというので見にいきました。
上の6個の内、下段左側の「子持ち勾玉出土時の写真
展示中の子持ち勾玉は、古墳中期後半から古墳後期前半のものだった。
いわゆる、きれいなスッキリした形の勾玉は古墳時代後期後半のものだった。
と言うことは、、、、、子持ち勾玉が早い時代につくられ、だんだんデザインが洗練されてアクセサリ的になったってコト?
そういえば、翡翠の子持ち勾玉なんて見たことない。