修羅のおはなし
2010年 10月 10日
1978年(昭和53年)、大阪府教委が八島塚古墳と中山塚古墳の間の濠の部分の発掘調査を行いました。濠底をさらに1.3mほど掘り下げたところから、大小二つの木製の「修羅(しゅら)」がてこ棒とともに発見され
ました。
修羅発見のニュースは、考古学上の大発見として全国を駆け巡り、大きな注目を集めました。
さて修羅が出土した場所の航空写真
大きな古墳は仲津山古墳です。そのの南側に、三基の方墳が東西に並んでおり、まとめて三ツ塚
(みつづか)古墳と呼ばれています。個々に名前があり、東から順に、八島塚(やしまづか)古墳、中山塚古墳、助太山(すけたやま)古墳と呼ばれています。
この修羅は、見つかったときの状態から、三ツ塚古墳が造られた後、それほど時間をおかずに濠底の穴の中に置かれたと考えられます。
つまり、修羅が使用されていた時期は、三ツ塚古墳が造られた時期から分かるのですが、その築造時期には、5世紀説と7世紀説とがあり、まだはっきりわかりません。
*修羅とは、重い荷物を乗せて運ぶための木ぞりです。
大修羅とデコ棒材質はアカガシ亜族の巨木から作られました。
大修羅・・・・長さ 8,8メートル、末口幅 1,8メートル
デコ棒・・・・・長さ 6,15メートル、直径 15cm
50トン以上の巨石を運搬可能
石棺を修羅で運ぶイメージイラスト