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古代史を中心にした漂流記録&覚えておきたい記事、書籍、ニュースなどの備忘録として、あるいは自分の考えの足跡、生活の記録をしています。


by jumgon
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宇太水分神社を訪ねる

田中八郎「大和誕生と水銀」を読むまで私は「宇太水分神社」の存在を知らなかった。

宇陀には何度か訪れたことがあったが、今日は「宇太水分神社」を訪れることにしよう。

その前に、田中八郎「大和誕生と水銀」より
水分神社とは
水分神社は「水を生み水を配分する神様を祭る神社」という通説がある。
大抵の人は字面をみてそう思うし、神社縁起なんかにもそう書いてある。
が、そうではない。。
水分とは「鉱石を冶金すること」を指す。
水分神、それは特定の時期に一斉に現れて、天之水分・国之水分という職掌名はあっても固体の神名は封じられた神でした。
水分神は地元の縄文神だったものが、大和王権が新規開発した水銀や銅などの金属生産の現場担当になったものだ。
その論拠は長く細かくなるので、省略する。

大阪から宇陀へ車でいっても遠い。斑鳩や飛鳥・奈良からまだ30分以上走らないと着かない。
弥生時代の人は三輪山麓から宇陀までどうして行ったんだろう?歩いて?小船を利用して?
以前2~3回来たことがある、が。榛原から右折する道が狭いので来るたびに通り過ぎてしまって、今日も又Uターンして右折する道を探すハメになった。
でも車が混んでないので、遠くの山並みと美しい緑を楽しみながら、どうにか大宇陀のメイン観光地?である、「くすりの館」や「森野薬草園」あたりに着いた。

(地図で水色のアイコンのところは「御破裂山」、中の大兄の皇子と中臣鎌足が蘇我入鹿を倒す密談をした処と伝えられている。)

が、今日の第一の目的は「宇太水分神社」だ。
道の駅でおりて、ゆっくりマップをみる。
大宇陀町から菟田野町古市場へ行く道は「もしかしてかなり狭い道?」かと心配したが、そうでもなかった。
よく考えれば「古市場」という地名だ。むかし市場があって栄えた所なのだ。
大宇陀から菟田野町へ向かう道には「毛皮・レザー用品」の会社や商店がたくさんある。畜産加工業が盛んなところらしい。
そして、やっと着きました。!
道の両側には商店や民家のある道沿いにありますが、いかにも古いたたずまいです。
大和のおく深くにある国宝の社殿を有する「宇水分神社」、宇水分神社、ではありません。

宇太水分神社を訪ねる_f0215268_20183272.jpg

いかにも古い狛犬がいます。刻印を読むと「嘉永7年甲寅9月」とあります。
嘉永7年といえば1854年(56年前)、江戸末期、「安政」の直前です。
境内に薬の井(御神水)があります。 
  推古天皇が莵田野に薬狩りをされた時、この井泉で心身を清められたとの伝えから、この水を田にいれると稲が豊かに稔ると言われている。
頼朝杉 
  樹齢400年の杉は二代目の頼朝杉と言われ、初代は頼朝が杉苗を植えたとの伝えである。
境内には大きな「頼朝杉など古い大きな杉がたくさんあります。

まず、HPから
宇太水分神社の歴史
●第十代崇神天皇7年2月(古事記の注釈によると紀元前90年ごろ)  
     崇神天皇の勅命により祀られたと伝えられている。

●大和朝廷が飛鳥に置かれた頃
    大和の国の東西南北(宇太、葛城、吉野、都祁)に水分神社が祀られた

●推古天皇19年(西暦610年)   
    推古天皇が菟田野に薬狩りをされた際、薬の井で身を清められ たとされる

◇平城京遷都 西暦710年

●大同元年(西暦806年)        神封一戸が奉られる。

◇平安京遷都 西暦794年 

●延長5年(西暦927年)      
     大和四水分が大社に列せられ、祈年祭、新嘗祭、月次祭の案上官幣に預かる。

●平安時代末期(年代不詳)    
     源頼朝、幼少時に当社に詣でて、大将軍になれるかどうかを占うために杉を植えさせたとされる。

元応2年(西暦1320年)    
     本殿の三棟が建設される。(現 国宝)、棟木銘により判明

宇太水分神社を訪ねる_f0215268_20344753.jpg
こんな大和の奥深くに華麗な神殿があったなんて、、、、。
御祭神は
第一殿     天水分神 (あめのみくまりのかみ)・王権の神
第二殿     速秋津彦命(はやあきつひこのみこと)
第三殿     国水分神 (くにのみくまりのかみ) ・縄文先住民の神

•本殿3棟
(同形の3棟が並ぶ。第一殿の棟木に元応2年(1320年)の墨書があり、他の2棟も同時の建立と推定される。3棟とも春日造で、隅木入春日造で建立年代の明らかなものとしては最古のものである。 )

摂社・末社がたくさんある。それぞれ丹塗りの華やかな社だ。
摂社
春日神社    天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
宗像神社    市杵島比売命(いちきしまひめのみこと) 
末社
恵比須神社   蛭子之大神(ひるこのおおかみ)
金刀比羅神社  大物主命(おおものぬしのみこと)

鳥居からでて帰ろうとすると「あれ!向こうに一の鳥居らしきものがある。」
行って見よう。
一の鳥居から
宇太水分神社を訪ねる_f0215268_2201322.jpg


道を挟んで川がながれている。
宇太水分神社を訪ねる_f0215268_2224868.jpg

土地のおじさんに聞いたら「ほうのがわ」とのこと。「どんな字ですか?」「芳野川ですよ」
ついでに気になってた、下水のフタの模様のことをきいた。
「あれは、鳥、、めじろだったかな?それと紫陽花と杉の木をデザインしたものです」とのこと。
わたしは、もしかしてこの鳥、ヤタガラスかな?と思ったんですけど、、、、
足は3本なかったけど~
何でも地元の人に尋ねることだ、とおもった。
宇太水分神社を訪ねる_f0215268_22322171.jpg

by jumgon | 2010-11-06 20:42 | ★宇陀